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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月16日・「他力更生」共産党中国が初の核実験に成功した。

1964年の明日10月16日に共産党中国が新疆ウチグル自治区内のロプノール湖で初の核実験に成功しました。
この実験については1976年9月9日に毛沢東国家主席が死亡した時、NHKを含むテレビ各局が放送した事実上の追悼番組だった悪業を紹介する番組の中でカラーの映像を流していたので鮮明に記憶に残っていますが、通常、アメリカの核実験や原爆投下に関する場面では極めて批判的な解説が入るのに対してこの映像については中国の近代化の象徴、アメリカやソ連に対抗し得る核保有国になった証明として感動を強要していました。特に毛沢東国家主席の指導の下、「両弾一星」と呼ばれる中国の科学者たちが自力で開発したと強調していましたが、それは虚構とは言わないまでも誇張です。
毛沢東国家主席はアメリカが日本で2度の核兵器の実用試験を行い、1発で地方都市(=ヒロシマ。長崎は中心部の山で遮断された)を壊滅できるほどの威力があることを知って以来、「自分でも使ってみたい」との願望を抱くようになったようです。このため1949年10月1日に国共内戦に勝利してソ連との同盟関係が成立するとヨシフ・スターリン書記長に1949年8月29日に初の実験に成功していた核兵器の提供と技術の移転を要請しましたが、毛沢東国家主席の危険な本性を見抜いていたスターリン書記長が拒否したのです。ところが1953年3月25日にスターリン書記長が死亡すると恐怖政治で絶対服従を強いてきた独裁者から解放されたソ連国内や東欧諸国では不協和音が起こり、フルシチョフ政権は共産主義諸国に新体制への信任を求めたのに対して毛沢東国家主席は軍需産業と核技術の移転を条件に加えたのでした。
こうして1953年に軍事大国化を目指す第1次5カ年計画に着手していた1955年1月に広西省でウラン鉱床が発見されて材料を入手したところへソ連から核兵器開発に当たっている科学者付きで遠心分離機と原子炉が提供されたため(ソ連崩壊後に「実際は核兵器の製造工場も建設した」との証言も出ている)、核兵器開発12年計画も開始したのです。すると1956年にはアメリカで発生したマッカーシズム=共産主義者狩りで国外追放になって帰国した物理学者・銭学林さんによってアメリカ式の核技術も入手したため核兵器開発は急速に進展してしまいました。なお毛沢東国家主席はソ連やアメリカだけでなく核保有国でロケット打ち上げでもあるイギリス、フランスの開発現場にも華僑の科学者や技術者を潜入させており、12年計画に合わせて招集したため、この原爆と水爆の技術者を「両弾」、弾道弾を「一星」と呼んだのです。
こうして先行してロケットの発射実験に成功するとこの日、国産の弾道ミサイル・東風2号に20キロトンの原爆を搭載して発射し、ロプノール湖上空569メートルで爆発させることに成功しました。さらに1967年6月17日には水爆の実験にも成功しています。
現在、中国はチベット高原に大半の弾道弾部隊を展開しています。日本ではインドの核開発を「国境紛争を繰り返しているパキスタンへの抑止力だ」と報じていますが、実際は中国からの核の脅威に対抗しているのでしょう。パキスタンは巻き添えです。
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  1. 2019/10/15(火) 12:43:41|
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