FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1705

夏の観光シーズンの最盛期で超多忙な淳之介は志織の迎えには出られなかった。1991年2月にバブル景気が弾けて20年経つが日本人に海外旅行熱が再燃する気配はなく、国内の秘境として北海道のオホーツク海側や沖縄でも八重山諸島が人気なのだ。今日もアパートの鍵は会社の事務係に預け、志織にはタクシーで取りに来るように伝えた。そうして通常通りに離島航路の連絡船に乗務していた。
「淳ちゃん、お帰りなさい」最終便を接岸させると桟橋で待っていた志織が手を振りながら声をかけてきた。連絡船は竹富島や小浜島などから乗った観光客で混んでいたが、沖縄のリゾートは老若のカップルでなければ女性客が中心なので美少女・志織の出迎えにも特別な反応はしない。淳之介は操舵室で手を上げただけで接岸後の作業に意識を集中させた。
「ただいま石垣港離島ターミナルに接岸しました。船体を固定するまで危険ですから席を離れないようにお願いします」淳之介は船内アナウンスをしてラッタル(梯子・階段)で甲板に下りた。それでも乗り慣れた離島の住人たちは勝手に甲板に出てきている。それは無視して桟橋に跳び移り、舫い綱(もやいづな)をクリート(杭)に結んで固定し、タラップ(渡り板)をかければ完了だ。志織は岸壁で興味深そうに淳之介の作業を見学していた。
「有り難うございました。また来て下さい」最近、淳之介は父に送ってもらった帝国海軍の白い略帽をかぶり、挙手の敬礼で送迎している。本当は服装も父提供の海上自衛隊の3種夏服にしたいのだが、すぐに汚れるのは判っているので作業服だ。
「今日の嫁さんは若いねェ」「嫁さんが子供を産んだ留守に若い女の子と友だちになっちゃあ駄目さァ」島のオバアたちは雲島に通っていたあかりの顔を知っているので淳之介に寄りそうに立っている志織を見て声をかけてきたが「妹です」とだけ説明した。
「淳ちゃん、終わった」「うん、船に乗っても良いぞ」最後に朝の便で竹富島に渡り、昼過ぎに小浜島、さらに新城島を巡っていた老夫婦が下りると志織が声をかけてきた。
「迎えに行けなくてごめんな」「ううん、会社に行ったら社長さんが船の到着時間を教えてくれたの。だから沖から入港してくるのをずっと見てたんだよ」淳之介が操舵室の下の倉庫から箒と塵取りを取り出して客室の掃除を始めると志織は邪魔にならないように場所を変えながら話を続けた。手伝わないのは生徒に教室の掃除をさせないアメリカの学校教育の影響だろう。社長はハワイでの結婚式に出席しているのでそこで志織に会っている。淳之介もあれ以来だが志織があまり成長したようには感じられない。高校生になった今でも可愛い妹のままだ。
掃き掃除に続き窓ガラスと座席を雑巾がけすると料金を入れた携帯式金庫を持ち、操舵室と客室、機関室を施錠して岸壁に下りた。石垣島では8月の日没は7時過ぎなので西の空と海は残照で赤く染まっている。すると志織が思いがけない歌をリクエストしてきた。
「ダディがサンセット(夕日)を見ながら唄ってた歌をお願い」「へッ、まさか『夕陽赤く』ってやつか」「うん」最近、淳之介は加山雄三の歌がウクレレに合うことに気づいて練習していた。職場にウクレレは持って来ていないがお気に入りの歌の1つなのは間違いない。そこで顎でリズムを取りながら唄い始めた。
「夕陽赤く 地平の果て 今日も沈み 時は逝く はるか遠き 君住む街・・・ 」気がつくと志織は腕を組んで頬を肩に載せている。確かに父がこの歌を唄うと母は身体を寄せて聞き入っていた。つまりこれがモリヤ家の形なのだ。父は幹部候補生学校の頃、今は母になっている佳織と外出し、筑後平野に夕日が沈むのを眺めながらこの歌を口ずさんだのだと言う。加山雄三の夕日の歌が「君といつまでも」ではないところがいかにも父らしい。
「・・・君よ眠れ また逢う日を 夢見るような 星あかり」今の淳之介はこの最後の歌詞を口ずさむとあかりへの愛おしさがこみ上げ、会えない寂しさが胸に迫ってきてしまうのだが、今日は志織が一緒なので自然に唄うことができた。それでも腕を抱いている志織の胸には弾力がない。この可愛い妹は女子高生になっても相変わらず色気抜きのようだ。
「淳ちゃんは海に出ていて外国の軍艦に遭うことはないの」夕食は行きつけの食堂ですませて自宅に帰ると志織は意外な質問をしてきた。淳之介は志織の海軍志望は聞いていないので父と母の影響かと思いながらも真面目に答えた。
「俺は石垣と西表の間の離島を回るだけだからそんな機会はないけど、就職する前の年に中国の潜水艦が領海侵犯したのは石垣島と多々良島の間だったから近海を通過したのは間違いないな。今でも与那国島や波照間島の航路では潜水艦に遭うことがあるらしいけど近づく前に潜航するから鯨の見間違えと言うことにしているよ」「やっぱり私が淳ちゃんを守らないといけないね」志織の決意を込めた表情に淳之介は困惑して、この健気な妹の顔を黙って見詰めた。
スポンサーサイト



  1. 2019/10/16(水) 13:26:15|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1706 | ホーム | 10月16日・「他力更生」共産党中国が初の核実験に成功した。>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5693-0fb90c6a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)