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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月21日・神風特別攻撃隊第0号・久納好孚中尉が未帰還になった。

昭和19(1944)年の明日10月21日に神風(しんぷう)特別攻撃隊で最初の戦死である久納好孚(「よしたか」若しくは「こうふ」)中尉が未帰還になりました。ただし、公式記録では昭和19(1944)年10月25日に戦死した関行男大尉が特攻第1号となっており、久納中尉は陸軍特別攻撃隊・万朶隊が出撃した翌日の11月13日になってから特攻戦死と布告されています。
久納中尉は大正10(1921)年に愛知県で生まれ、昭和17(1942)年9月に学徒出征で法政大学を特別卒業すると海軍に入営して戦闘機搭乗員になりました。
フィリピンのセブ島基地に配属されていた昭和19年の10月20日に連合艦隊がマックアーサー元帥のフィリピン上陸を阻止すべく総力でレイテ湾に突入しようとした捷1号作戦に呼応して鬼神・大西滝治郎第1航空艦隊司令官が戦闘機による肉弾攻撃を言い出して神風(しんぷう)特別攻撃隊が編成されると久納中尉は大和隊の隊長に就きました。この時の敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の部隊名は国学者・本居宣長さんの「敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににおう 山桜かな」が出典です。人問隊はありません。
作戦は10月21日の朝に偵察機からの「敵艦発見」の通報を受けて午前9時にマバラカット基地から関大尉の大和隊と朝日隊が出撃して始まりましたが敵艦隊に遭遇できずに引き返し、大和隊の出撃予定時間の午後14時30分にアメリカ海軍の艦載機の空襲を受けて稼働機が全て炎上・爆発したため予備機で編成を執って爆装した特別攻撃機2機と掩護機1機の3機で16時25分になって出撃したのです。本来は空襲から戻るアメリカ海軍機を追跡して空母艦隊に案内させてやりたかったのですが、この時間差は埋めようがなく天候も悪化したため大和隊も中瀬1飛曹の特別攻撃機1機と大坪1飛曹の掩護機1機は帰還し、久納中尉だけが未帰還になりました。
海軍が当初、この未帰還を戦死扱いせず4日後の関大尉を第1号と喧伝した理由については戦時中から現在まで様々な憶測が飛び交っていますが、一般的には「戦果がなかったため特攻の先駆けにすることを避けた」と「久納中尉が予備士官だったため海軍兵学校出身の関大尉に手柄を譲らさせられた」と言う如何にもありそうな2つが定説になっています。この他にも「不時着して生存している可能性を考えた」や「関大尉が最初の特攻隊全体の指揮官である以上、順番に関係なく1号なのだ」と言う開き直りまでありますが、帝国陸海軍の戦史はニューギニアのブナが4カ月早いにも関わらずアッツ島を玉砕1号としているように面子や利用価値で脚色していることも珍しくはなく、久納中尉は「特攻0号」になるのでしょう。
久納中尉はおそらく名古屋の上流家庭の出身で(愛知県に限らず日本の教育委員会は地元出身の軍人を無視しているため出身地を特定する資料が見当たらない)、フィリピンに赴任して間もなく地元の富豪の屋敷で歓迎会が催された時、ピアノの名演奏を披露して喝采を浴びています。出撃前夜にも海軍が士官用宿舎に借りていた邸宅のピアノで好きだったベートーベンの「月光」を静かに弾き、平常心を保っていたことを示しています。
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  1. 2019/10/20(日) 12:41:05|
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