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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1711

森田曹侯補士たちは防衛省の災害派遣終了の公式発表の直前まで石巻の被災地で活動していた。そこに北部方面総監の滋賀陸将が在北海道のマスコミ関係者を引きつれて視察に乗り込んできた。そうなると撤収準備も視察後になり、逆に機材を全て並べ直して業務の規模の誇張と多忙ぶりを演出しなければならなくなる。
「森田、お前たち曹侯補士は総監には恨みが溜まってるんだろう。食事に下剤でも混ぜてやったらどうだ」現場指揮官の陸曹も始めていた撤収準備を無駄にされて冗談にも悪意がこもっている。すると森田曹侯補士は苦笑しながら首を振った。
「下痢させてトイレを使わせると掃除する手間が掛かりますから止めましょう。逆に便秘薬を入れて糞詰まりにしてやりますか」会社のOLが嫌いな上司にお茶を出す時、生ゴミに捨てた茶殻を混ぜたり、灰皿を洗った水などで湯呑を汚す嫌がらせをすることは雑誌などでも紹介されているが、自衛隊でも「絶対ない」とは言えないようだ。ちなみにOLたちは鼻糞を入れた茶を「はな茶」、痰を入れたのは「つばき茶」と言う隠語で呼んでいるらしい。
「自分は滋賀総監のおかげで陸上自衛隊に描いていた夢が単なる幻想だって教えてもらえたんです。馬鹿な人間が陸将と言う最高の階級まで登ってしまうと勝手な理屈で法律まで無視できる。それで被害を被った人間が悪いことにされてしまう。自分は服務規律違反を犯した記憶はありませんが懲戒免職されるようです」調理の作業を再開しながら森田曹侯補士は独り言のように真情を吐き始めた。陸曹も無視しているような態度で聞き入っている。
「自分の父親は航空自衛隊の3佐ですがここまで酷くないと言っています。帰ったら即応予備自衛官と両立できる仕事を探しますよ」「それが良いかも知れないぞ。本当に勿体ないけどな」駐屯地業務隊から派遣されているこの陸曹も糧食班の調理師免許取得を目的にしている陸士たちに比べて森田曹侯補士の自衛官としての素養が別格であることを実感している。勿論、糧食班の陸士たちも真面目に働いているのだが、それはプロ意識のようなものかも知れない。
「閣下にお出しするんだ。調理に手抜かりがないようにシッカリ指導しろ」そこに派遣隊本部の1尉が見回りに来た。陸曹や陸士たちはこの余計な視察を迷惑としか受け留めていないが、幹部は自分を売り込む好機としてご機嫌取りに万全を期しているようだ。
「最高の材料を用意していますから被災者に出している料理とは物が違いますよ。味付けも閣下の出身地の岩手風にしてあります」陸曹は皮肉な説明をしながら「塩分が濃い目だから定年前の小父さんは血圧が上がるぞ」と腹の中で呟いた。
「それから森田は閣下が視察しておられる間は別の場所に行ってもらうぞ」「自分だけでなく曹侯補士全員ですね」森田曹侯補士は前回の宮古市でも総監の視察とマスコミの取材時には目がつかない場所に隔離されていた。やはり幹部たちも滋賀陸将が強行している曹侯補士たちに対する不当人事が怨嗟を生んでいることは理解しているのだが、その過ちを本人に諌めるのではなく曹侯補士を遠ざけることで回避しようとしているのだ。この幹部に対する失望と不信も森田曹侯補士が陸上自衛隊に心底愛想を尽かした理由でもある。
「お前は目立つから良いが補士の徽章は陸曹候補生と紛らわしいから困る。補士は何人いるんだ」確かに新隊員から陸曹に昇任する陸曹候補生の徽章も士長の階級章の上に桜を縫い付けているので同様だが、この時期は陸曹教育隊に入校しているから来ているはずがない。おそらくこの1尉は「曹侯補士がいなくなれば紛らわしさも解消される」と期待しているのだろう。本質には踏み込まず表面上だけで都合よく評価するのも自衛隊の幹部の思考方法の基本なのだ。
結局、滋賀陸将は総監部の幕僚と多くのマスコミ関係者を引き連れて派遣現場に現れたが、災害派遣終結後も単独で復旧作業を継続することになる東北方面隊総監部には接遇する余裕がなく第1部の尉官を立ち合わせただけだった。
「私は岩手出身の東北人ですから今回の災害派遣に特別な思いがあるんですよ。だから最後まで災害派遣を継続したいと願っています」マスコミ関係者に熱弁を揮いながら滋賀陸将は涙ぐんで見せた。陸上幕僚長の座を狙う滋賀陸将としては防衛大学校の1期先輩の東北方面総監が今回の功績で席を譲り受けることを阻止するためには北部方面隊が最後まで貢献した実績を誇示する必要がある。しかし、東京での関心は災害派遣終結後の福島原発事故の対応に向いており、無駄な悪足掻き(わるあがき)にしかならなかったようだ。
「自衛隊さん、有り難う」それでも地元の被災者たちは避難所を出発する自衛隊を全員で見送り、通過する道路脇でも市民たちがトラックに向かって声をかけながら手を振り、老人たちは深く頭を下げていた。森田曹侯補士はトラックの荷台で市民の叫び声を聞き、後ろから手を振っている姿を見て2度も災害派遣に参加させてくれた滋賀陸将に心から感謝していた。
  1. 2019/10/22(火) 12:47:44|
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