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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月25日・マラソンの偉人・アベベ・ビキラ大尉の命日

1973年の10月25日は世界の陸上史に偉大な足跡を残し、侵略を受けた屈辱を晴らしてエチオピア帝国の名を世界に知らしめた英雄である皇帝親衛隊のアベベ・ビキラ大尉(メキシコ市オリンピック後の最終階級)の命日です。
余談ながらエチオピアでは氏と名と言う概念はなくアベベ(意味は「咲き誇る」)が本人の名前、ビキラは父親の名前なので「ビキラさん家のアベベくん」になるようです。
アベベ大尉は1932年にエチオピアの中央部を占める現在のオロミア州の貧しい小作人であるビキラさんの息子として生まれ、小学校に1年間通っただけで家の手伝いをすることになり、平均海抜2000メートル以上の高地で長距離を重い作物を運びながら成長したことが超人的な心肺能力と脚力を作り上げたと言われています。
19歳で皇帝の親衛隊に入隊すると体育の強化訓練を受けるようになり、足の速さに注目した上官の指示で出場した1957年の軍と親衛隊の陸上競技大会で2位になってローマ・オリンピックの強化選手に指定されるとスウェーデン人のコーチから科学的練習方法で鍛えられ、国内予選で2位になって1960年のローマ・オリンピックに出場しました。
エチオピアは1937年から1941年までムッソリーニ統領のイタリアに占領されていた屈辱の歴史を持っていたためゴールになっていたローマ市内の凱旋門でアベベ上等兵(当時)がテープを切ったことに国民は熱狂したのです(この優勝で兵長に昇任した)。ところが報道している海外のマスコミは世界大会に出場した実績もなく、エチオピアの国内予選で2位だった無名の選手の優勝に大混乱していたようです。
1964年にアベベ軍曹(当時)が東京オリンピックへの出場を決めると記録的には日本代表の寺沢徹選手やイギリス代表のベイジル・ヒートリー選手などが上回っていましたが、日本では「裸足の王者」と呼ばれて熱狂的な報道が始まりました。それはローマに出発する直前に靴が壊れ、現地で足に合う靴が見つからなかったため幼い頃から原野を裸足で走り回っていたこともあり、そのまま出場したことに由来します。本人は軽い裸足が気に入ってその後の大会でも継続しようとしたのですが周囲に制止され、東京オリンピックでも靴を履いていました。
競技では折り返し地点手前の20キロを過ぎた頃から独走態勢に入り、2位のヒートリー選手と3位の円谷幸吉2曹(当時)に4分以上の大差をつけて(=2位と3位は3秒差)、ゴール後は柔軟体操をしながら待つ圧勝を果たしたのです。
しかし、1968年10月のメキシコ市オリンピックでは他の選手には過酷だった海抜2000メートルの高地には慣れていても膝を痛めた練習不足に加え、36歳と言う年齢もあって16キロ付近で歩き始め17キロ地点で棄権しました。
さらに半年後の翌年3月23日の夜、東京オリンピックの恩賞のフォルクス・ワーゲン・ビートルを運転中に対向車の前照灯に幻惑されて衝突事故を起こし、頸椎の完全脱臼によって下半身不随になって競技人生からも棄権することになりました。その後も障害者スポーツの普及に尽力しましたがこの日に人生のゴールを迎えてしまいました。
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  1. 2019/10/25(金) 13:15:24|
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