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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1715

工藤の告白を受けて諸西将補はソファーから立ち上がると廊下の対面にある在外公館警備室にコーヒーのお代わりを依頼した。他国の大使館には警察の警部か自衛隊の1尉が公館警備官として勤務しているが、在ワシントン大使館だけは防衛駐在官の手足としての陸海空の1尉が配置されている。間もなく警備官付の事務員として勤務している日本人の女性職員がお盆に載せた2人分のコーヒーを運んで来て、空になったカップを下げていった。
「それで奥さんは何歳なんですか」2人でコーヒーをすすってから諸西将補の面接が始まった。これは今まで申告してこなかったことへの疑惑の解消のための手順でもある。工藤のこれまでの態度を考えれば何か深刻な事情がある可能性を考えるのは当然なことだ。すると工藤は先ほどとは違う羞恥の表情を見せながら説明を始めた。
「実は3年前にチベットで死んだ村田の妻なんです。名前はジェニファー・ビーンズと言って年齢は43歳です。職業はアフリカ系女性向けの雑誌の編集長です」、諸西将補は2008年3月のチベット蜂起で死んだ村田=倉田とは面識がないが事件の経緯と個人情報に関する資料は前任者からの申し送りとして読んでいる。
「私としては今後、彼女が別の男性と交際して結婚することになれば村田との生活で知った我々の活動の一端が漏れる惧れがあるのでそれを封じたのです」諸西将補は工藤の説明に半分は納得したが赤面した様子を見る限り、現在は強い愛情を抱いていることも推察した。50歳を過ぎて孤独な身の上になってしまった諸西将補としては憧憬を禁じ得ない。一方、工藤の中では「ジェニファーの身体に宿った命が村田の生まれ代わりであれ」と願う気持ちと「我が子」として独占したいとの願望が交錯していた。
「それでも父親になればその子供が成長するまで生活を支えていく責任がありますね。アメリカでは日本のような定年制度はないから健康に注意していけば働き続けることは可能でしょう」諸西将補の激励に工藤は覚悟したようにうなずいた。
「実のところ私はそろそろ貴方の後任について考えていたんです」ここで諸西将補は身を乗り出して本題を切り出した。工藤としても悩んでいる問題ではある。
「前任の井上将補との間では新たに中国語要員を確保・育成して貴方が1佐の定年年齢になるのを期に村田くんを後任とする方向で進めていたようですね」「はい、村田は人間性や能力だけでなく経験も十分で同僚からの信頼も厚く最適任者でした」工藤の説明に諸西将補は申し送り資料で読んだ経歴と添付してあった顔写真を思い出した。鹿児島県人だけに西郷輝彦風の精悍な顔立ちで人間的な魅力を全身から発散していたのが伺えた。
「そこで良いですか」唐突に諸西将補が口調を改めた。身を乗り出して両手を膝の上で結んでいる。工藤も座ったままコーヒー・カップを皿に置き、姿勢を正した。
「陸幕は貴方の後継の適任者を見つけたようですが、この時代だけに全ての条件を満たしていないんだそうです。忌憚のない意見を聞かせて下さい」工藤は胸の中で不文律の条件を思い返した。その第1は一般大学卒の一般(部外)課程出身者、第2は両親を失っている独身者、第3は英語以外の語学に堪能であること、第4は格闘技に習熟していること・・・工藤の思考の途中で諸西将補の説明が始まった。
「ハッキリ言えば能力と人間性以外は条件に全く適合していません。逆に言えばそれらに目をつぶっても抜擢したい人材と言うことです」諸西将補は立ち上がって机のパソコンを運んでくると電源を入れ、金庫から出したメモリーを挿入しながら説明した。
「松山千秋3等陸佐、現在は名寄の第3普通科連隊で第4中隊長をやっています。幹部候補生は部外ですが岡村くんと今田くんの中間です」ここで既に指揮系統と言う条件が崩れている。杉本と岡倉は非公然とは言え2佐である。そこに階級が下で幹部候補生も後輩の上官を持って来ることは自衛隊の常識として考えられない。
「ついでに言えば妻はWACの2曹で1人の子持ちですが両親は病没しているようです。大学はW稲田大学政治学科卒、語学は5カ国語以上に堪能です」ここで画面が映ったので注視すると松山3佐は気難しそうな野性味のない体育会系が多い普通科の幹部とは思えない雰囲気だ。
「幹部候補生学校では学科だけはトップでも体力面と服務面の評価が低く序列は中位に終わっています。部隊でも上官の命令に公然と反論するため徹底的に嫌われていたので指揮幕僚課程には入れず、勤務評定が低くて昇任も最後尾になっています」この説明に工藤は陸上幕僚監部の真意を察した。要するに組織の枠に納まり切れない図抜けた人材と言うことだ。
「上官ではなく管理職として能力を発揮してくれれば大丈夫ではないですか。妻も巻き込めば一緒に使えるでしょう」工藤の意見に諸西将補は改めて画面の松山3佐の顔を見直した。
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  1. 2019/10/26(土) 12:13:38|
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