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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月28日・フィンランドの軍神?ユーディライネン大尉の命日

1976年の明日10月28日は第2次世界大戦中のソ連軍のフィンランド侵攻に於いて卓越した戦闘指揮を行い多大の戦果を上げながら適切な評価を受けずに終わったアールネ・エドヴァルト・ユーディライネン大尉の命日です。72歳でした。
野僧は空曹時代から基地警備戦闘の研究に励み、それがゲリラ戦術に発展したことで冬戦争=第1次ソ芬戦争でフィンランド軍が実施してソ連軍の機甲部隊を撃破したモッティ戦術に興味を持ち、徹底的に探究するようになりました。この研究成果は幹部学校の幹部普通課程に入校中、1等陸佐の教官を質問攻めにして「次は陸のCGS(指揮幕僚課程)に入校してこい」と呆れさせることになりました。
ユーディライネン大尉は1904年に1917年までは帝政ロシア領だったフィンランド大公国のヴィープリ州(現在は大半がロシア領)で生まれました。フィンランド空軍の「無傷の撃墜王」であるエイノ・イルマリ・ユーディライネン准尉は実弟です。
独立したフィンランドが創設した陸軍士官学校に入営すると最終学年まで進んだものの規律違反で停学処分を受け、停学中に仮配属された自転車大隊でも規律違反で拘禁処分を受けたため退学になり、新聞の募集記事を読んでフランス外人部隊に志願・入隊しました。フランス部隊では北モロッコに配属され、植民地戦争での非情で非常な活躍で敵と味方から「モロッコの恐怖」と言う仇名をつけられています。兵役満了後の1935年にフィンランド軍に復帰しますが再び素行不良によって除隊処分を受けてしまいました。ところが1939年11月30日に冬戦争が勃発したことで予備中尉として参戦することになり、中隊長として国境にあるヨーロッパ最大のラドガ湖の北湖畔に展開して圧倒的な兵力で侵攻してくるソ連軍の進撃を阻止しました。この時の部下には確認戦果542人の世界最多射殺記録を持つシモ・ヘイヘ兵長がいて、ユーディライネン中尉はその神技的射撃技術を最大限に発揮させるため狙撃手として単独行動させることにしました。ユーディライネン中尉は激戦を前に「まるでピクニックに出かけるよう」にハシャギながら出撃し、最前線ではソ連軍の苛烈な砲撃を受けても自ら持ち込んだロッキング・チェアに座ってくつろいでいたと言います。
こうして1940年3月13日にソ連軍を撃退して軍学校の教官に就任したのも束の間、1941年6月25日から再びソ連軍が侵攻を開始して継続戦争=第2次ソ芬戦争が生起すると前線で活躍して武勲戦功を上げたものの1944年9月19日の停戦条約でフィンランドが事実上はソ連の支配下に置かれたため、これを受けてナチス・ドイツ軍が侵攻してきたラップ・ランド戦争にも参加することになったのです。このラップ・ランド戦争ではナチス・ドイツの勧誘を受けたラウリ・アラン・トルニ大尉などのフィンランド軍士官が参戦していたので事実上の友軍相撃でした。
戦時の軍神も平和な時代には適応できず、国家的英雄でありながら昇任は大尉止まりで予備役に編入され、冬戦争終結後に結婚した妻とは離別し、酒に溺れ、戦傷の傷みに苦しみながらの老後だったようです。野僧は「日本のユーディライネン大尉」なのでしょうか?
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  1. 2019/10/27(日) 11:14:04|
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