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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月30日・第442戦闘団がテキサス大隊の救出に成功した。

1944年の明日10月30日にヨーロッパ戦線で文字通りの死闘を演じ続け、多大な武勲戦功を上げていた日系人2世部隊・第442戦闘団の通称・第100歩兵大隊が10月24日にルクセンブルクの南方とフランス東部のアンザス地方の国境地帯であるボージュ山地でナチス・ドイツ軍に完全に包囲されて全滅も時間の問題視されていた第36師団第141連隊第1大隊=通称・テキサス大隊=別称・失われた大隊の救出に成功しました。
第100大隊がこの救出作戦を命ぜられたのは山間の街・ブリエリで、同じ第141連隊の他の大隊が攻略に失敗していたナチス・ドイツの精鋭部隊・武装親衛隊が守備する山岳地帯=「黒い森」の突破に10月24日に成功した直後でした。
ナチス親衛隊に占領されていたブリエリの住民たちは「アメリカ軍が解放に来た」と聞いて自分たちよりも巨体のアメリカ人を想像していたのですが、現れたのは遥かに小柄な東洋人だったので目を疑ったもののその厳格な規律と人懐こい笑顔に魅了されて可能な限りの歓待と慰労を始めていました。しかし、兵員の多くは激戦で負傷しており、無傷の将兵も疲労困憊しており、10月25日のこの命令はあまりに過酷でした。
一部の第442戦闘団=日系人2世部隊に関する戦史読本ではこの命令がテキサス州の選挙民の圧力を受けた有力議員の要請を受けたフランクリン・ルーズベルト大統領の直接命令だったとされていますが、野僧がアメリカ軍の友人を通じて調べた公式記録にはそのような記述は見当たらず、それぞれの筆者の想像か創作の可能性が高そうです。
実際、アメリカ政府と陸軍はナチス・ドイツの非人道行為を批判している立場上、日系人部隊に過酷な戦闘を命じ、多大な犠牲を強いれば「敵国民でありながら戦時の軍に志願した義勇的移民をアメリカ兵の弾除けに使った」「ヨーロッパ人を守るためアジア人を盾にした人種差別である」などと批判の材料にされる可能性は認識しており、第442戦闘団の編成が完結し、訓練が終了した後も前線には投入しなかったのです。
したがってこの命令は上級司令部から救出を命ぜられた第36師団が第141連隊に作戦の実施を催促した結果、黒い森で戦力を消耗した上、救出作戦にも失敗していた第2、第3大隊ではなく成功を収めていた第100大隊に現状も確認せず命令を下したと言うのが真相のようです。ただし、第100大隊の損害も第2、第3大隊と大差はなく、ヨーロッパ人の部隊であれば指揮官が数値で説明して実施不能を申し立てたはずですが、第100大隊のヨーロッパ人の指揮官以下の幹部が引き受けたのは部下を犠牲にすることに感じる良心の呵責が弱かったのかも知れません。
第100大隊は傷む身体を引き摺って戦場に臨み10月26日から戦闘を開始しますが、ブリエリを失っていたナチス・ドイツ軍の抵抗は凄まじく211名のテキサス大隊を救うのに第100大隊は戦死者216名、600名以上が手足を失うなどの重傷を負ったのです。この戦闘直後の11月11日に行われた第1次世界大戦休戦記念日の式典で第36師団長が第100大隊の兵員が26名しかいないことを見咎めて「全員出席させろと命じたはずだ」と叱責すると指揮官は「残ったのはこれだけです」と答え、衝撃のあまり訓示もできなかったと言われています。
2世部隊物語・ミッキー熊本軍曹「2世部隊物語」ミッキー熊本軍曹
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  1. 2019/10/29(火) 11:45:54|
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