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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月31日・毛沢東の軍事スパイ・銭学森の命日

2009年の明日10月31日は軍事スパイとしてアメリカから最新の核兵器とロケットの技術を盗み出して毛沢東国家主席が渇望していた核爆弾を搭載した大陸間弾道弾を実現した宇宙航空工学者の銭学森博士の命日です。97歳でした。
銭博士は1911年に浙江省杭州市で唐朝末期の呉と越(=ベトナム)王の33代目の末裔として生まれ、当時としては正当で高度な教育を受けて成長し、上海交通大学を卒業した後、アメリカへの留学予備校である清華大学に進学して1934年に公費留学生に選ばれると翌年にマサチューセッツ工科大学に留学しました。そのままマサチューセッツ工科大学で修士号、カリフォルニア大学で博士号を取得して1942年からはアメリカの核開発研究であるマンハッタン計画に参加しています。
1944年にはアメリカ戦争省の科学顧問に就任し、さらに終戦後の1947年にマサチューセッツ工科大学、1949年にはカリフォルニア大学の教授になってアメリカの国防と工学界の中枢で存在感を増していきますが、1950年にジョセフ・マッカーシー上院議員が告発した政府内の共産党員の存在に対する危機感から始まった「赤狩り=マッカーシズム」によって自宅軟禁を受け、1955年に朝鮮戦争におけるアメリカ兵捕虜との交換で共産党中国に送還されました。実際、銭博士は上海時代に共産党に入党しており、マッカーシズムそのものはソ連を敵視していても中国では1949年10月1日は国共内戦に勝利した共産党が政権を奪取していたためこの追放には根拠がありました。
ところが中国側の視点で見るとこの追放は「渡りに船」「願ったり叶ったり」だったのです。アメリカが日本のヒロシマと長崎で実用試験を行った原子爆弾の威力を知った毛沢東国家主席はこの兵器を手中に収めることを渇望するようになり、終戦後、共産党中国を樹立するとアメリカに対抗するべくナチス・ドイツから連行した科学者に核開発を命じていたソ連の研究機関にヨーロッパへ留学していた中国人の科学者を参加させるべく送り込んだのです。しかし、毛沢東国家主席の本性を察知していたヨシフ・スターリン書記長は受け入れを拒否したため中国の核開発は頓挫したままになっていました。そこにソ連以上の最新科学技術を盗み取った銭博士が戻ってきたのですから毛沢東国家主席が歓喜したのは言うまでもありません。
帰国後は銭博士のために設立された中国科学院力学研究所の所長に就任し、スターリン書記長の死に際して毛沢東国家主席が弄した恫喝によって送り込まれてきたソ連の科学者と共に野望を次々に実現していきましたが、この結果を見ると銭博士は上海で共産党に入党した時からアメリカで最新技術の盗み取ることを命じられていたとしか思えません。
現在も中国共産党は外国に居住している中国人に非常時の命令に従う義務を課しており(日本でも長野での聖火リレーの時に発動された)、情報収集も同様なので全員がスパイと見るべきなのです。また日本の核開発や宇宙工学の最先端技術の研究を行っている大学には在日韓国人と称する在日朝鮮人が多数在籍しており、学業を修了すると韓国に帰国した後、中国経由で北朝鮮に渡り、核兵器やミサイルの開発に参加しているそうです。
  1. 2019/10/30(水) 11:04:57|
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