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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月1日・イタリアの降伏を実現したピエトロ・バドリオ首相の命日

1956年の明日11月1日は早い段階でベニト・ムッソリーニ首相を追い落とし、イタリアの降伏を決めながらナチス・ドイツのローマ侵攻には抵抗をせずに逃亡し、南北に分かれた国内戦を引き起こしたピエトロ・バドリオ首相の命日です。
バドリオ首相は1871年にイタリア北西部のピエモンテ州で生まれ(アレキサンドリアとする説もある)、イタリア軍に入営してトリノの士官学校を卒業するとイタリアが1895年から1896年にかけてアフリカ唯一の独立国だったエチオピアの分裂に介入して行った第1次エチオピア戦争に参加しました。この戦争では当初、ヨーロッパの近代兵器と軍制を有するイタリア軍が優位だったのですが、アフリカ人への蔑視と緒戦の勝利に奢ったことでフランスから同等の火砲と銃器を購入し、敗戦を教訓として戦術を練った皇帝の軍に敗北したのです。バドリオ大尉は敗走するイタリア軍を支える戦闘を指揮し、司令官以下大半の士官が懲罰を受けた中で恩賞的に少佐に昇任しています。
1914年からの第1次世界大戦では歩兵師団の参謀や戦闘団長として活躍したことで1916年には少将に昇任し、オーストリア・ハンガリー帝国との休戦交渉では全権大使を務め、戦後は1919年から陸軍参謀長に就任しています。
ところが1922年10月にムッソリーニ統領がローマ進軍で政権を奪取すると、これを批判してブラジル大使に追いやられたものの帰国した1925年には国防軍参謀長も兼務し、1926年には元帥に昇任して1928年には侯爵に叙せられ、陸軍参謀長の職を辞してリビア総督に就任しています。ファシスト政権下で厚遇を受けたことで表立った批判は控えるようになり、1935年に発生した第2次エチオピア戦争では慎重な姿勢を取る司令官の後任を命じられると毒ガスや焼夷弾を使用して皇帝軍を壊滅させ、早期占領を実現させました。この戦功によってイタリアのアフリカ植民地の副王の地位と公爵を与えられた上で国防軍参謀長の椅子に腰を据えていたのです。
しかし、ムッソリーニ政権がヒトラー政権に同調して第2次世界大戦への参戦を指向するようになると戦力不足を理由に反対し、全ての職を辞して隠遁生活に入りました。そして1941年12月の日本の真珠湾攻撃によってアメリカが参戦する口実を得たことでヨーロッパの戦況が逆転すると軍首脳として復活し、1943年の北アフリカからの撤退、連合軍のシチリア島侵攻を受けてムッソリーニ首相の解任を画策し、国王に「統帥権の返納」を報告に来たところを拘束し、バドリオ元帥が首相に任命されました。
バドリオ政権はナチス・ドイツによるオーストリアからの侵攻を危惧して秘密裏に降伏に関する交渉を進めていましたが、アイゼンハウアー連合軍最高司令官が一方的にイタリアの降伏を発表したためローマを占領されると国王と共に半島南部に逃亡し、ナチスの傀儡のファシストの残党と内戦を繰り広げることになりました。敗戦後は戦争犯罪に問われることはなく全ての公職を辞して故郷で隠居生活を送りました。
日本の降伏を成し遂げた鈴木貫太郎首相は就任直後に「俺は日本のバドリオになるぞ」と家族に決意を語っていたそうなので真価を理解する人物は日本にもいたようです。
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  1. 2019/10/31(木) 12:40:30|
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