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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月9日・ナチス・ドイツでユダヤ人迫害「水晶の夜」が起こった。

1938年11月9日の夜から10日にかけて国家社会主義ドイツ労働者党=ナチスの私設武装組織である突撃隊(SA)によるユダヤ人迫害「水晶の夜」が起こりました。この「水晶の夜」と言う詩的な呼称は事件現場を視察したヨーゼフ・ゲッペルス宣伝相が砕かれたガラスが道路で月明りに輝いている様子を見て命名したと言われています。
事件の発端は1933年1月30日に選挙によって「反ユダヤ主義」を掲げたナチスが多数党になったことでアドルフ・ヒトラー総統が首相に任命され、ドイツ国内では第1次世界大戦で敵側に巨額の資金を提供し、敗戦後は資産を海外に移転させて国民の窮状をよそに贅沢な生活を送っていたユダヤ人に対する怒りが大炎上し、各地で迫害が始まったことです。ヒトラー政権はこれを取り締まることなく警察官は被害者がユダヤ系ドイツ人であるか外国籍のユダヤ人であるかを確認するだけでした。そんな中、ドイツ以上に反ユダヤの空気が蔓延していたポーランド政府が在ドイツのユダヤ系ポーランド人が帰国できないように旅券を無効にする旅券法の改定を行ったため、ヒトラー政権は国民の迫害を扇動する上で目障りな在ドイツのユダヤ系ポーランド人17000人を強制送還しようとしたところポーランド政府は施行日前にも関わらず国境を封鎖して帰国を阻止したのです。この結果、ユダヤ系ポーランド人たちは荒野が広がるドイツとポーランドの国境付近に置き去りにされ、人家に近づけば迫害を受けることになりました。
そんなユダヤ系ポーランド人の1人がこの惨状をパリ在住の息子に知らせたため、怒り心頭に達した息子は在フランスのドイツ大使館員を殺害して事件の報道を通じてナチス・ドイツの非人道行為を世界に発信しようと短絡的に考え、実行に移したのです。ところが息子が銃弾2発を浴びせた大使館員はナチスの幹部の警護や集会場の警備を担当していた突撃隊の元隊員でした。この情報はナチスによってドイツ全土に流布され、即座にユダヤ人迫害が始まりました。ミュンヘン決起の15周年記念行事の会場でこの報告を受けたヒトラー総統は冷静を装っていましたが、持ち前の計算を働かせたゲッペルス宣伝相の提案を許可したようです。なお、この息子はナチス・ドイツによるフランス占領後に刑務所から強制収容所に移管され、1942年9月で存在記録が消えています。
ヒトラー総統は自分の侍医を派遣するなど大使館員を気遣う対応を示したものの11月9日に死亡するとその夜に突撃隊が指揮する組織的な復讐が始まったのです。この一夜でドイツ全土のユダヤ教の会堂(=神道で言う神社)177カ所と7500軒の工場や店舗が破壊され、少なくとも96人のユダヤ人が殺害されて多数が暴行によって負傷しました。ところがヒトラー総統やユダヤ人虐殺の実施機関である親衛隊(SS)は傍観者を演じ、警察と消防も保安警察・ゲシュタポの指示を受けてドイツ人に危害が及ばない限り放置していました。事件後、警察当局とゲシュタポが捜査しましたが、殺人犯は逮捕されたものの不起訴若しくは無罪になり、ユダヤ人女性を強姦した者は「ドイツ人=アーリア民族の血統と名誉を守る法律」に規定されていた「人種汚辱罪」で処罰されました。おまけに被害者のユダヤ系ポーランド人たちは不法滞在で逮捕の上、強制収容所に収監されています。
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  1. 2019/11/08(金) 11:27:42|
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