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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1729

休日の松山2尉の起床時間は目が覚めた時刻だ。下手すれば就寝する時間が駐屯地で平日の起床ラッパが鳴るよりも遅いことがある。それでも昨夜はインターネットでAV1本を含む映画3本を見ただけで横になった。すると唐突に玄関のチャイムが鳴った。
「松山2尉、開けて下さい」この声は中村士長だ。夕食を作ってくれた時、名前は裕美と言うことを聞いている。カーテン越しの薄明りではめたまま眠っている腕時計を確認すると午前10時だ。一応、睡眠時間は7時間取れている。
「今、開けますよ。ジャージを着るまで待ってくれ」松山2尉も自衛隊生活が長くなって下着で寝る癖がついてきた。冬場はスウェット上下を着ているが4月から止めたばかりだ。
「朝も早くから何事だい」「もう10時ですから昼前ですよ」ドアを開けると中村士長はトレーナーとGパンの軽装で、左手には紙袋とスーパー・マーケットのビニール袋を提げている。挨拶の後は先ず右手に持っていた朝刊を差し出した。
「大掃除と昼ご飯を作ろうと思って来たんですが、その顔では朝食ですね」中村士長は意識が目覚めていない松山2尉の顔を呆れたように眺めながら説明した。しかし、家事を頼んだ覚えはなく、立ち入り許可も与えていない。それでも中村士長は靴の踵を外して脱ぐ準備を始めている。ここはハッキリ拒否するべきだが中村士長は手で松山2尉を押しのけるように上がってきた。ここまでWACの士長に押し切られるのは普通科の幹部として迫力不足かも知れない。
「汗臭い。洗濯物を貯めていますね」玄関に上がった中村士長はトイレと風呂の水回りから漂ってくる臭いを指摘した。陸上自衛官は演習用に下着と靴下を1週間分持っているので洗濯は週末でも間に合う。それが蓋つきのバケツに収まれば臭いも気にならないのだが今回はトレーナーもあったので密封し切れなくなっているのだ。
「今日は天気が好いから今から洗濯して干せば夕方までには乾きますよ。洗剤はどこですか」中村士長は玄関に立ったままボーッとしている松山2尉に訊きながら脇を通り抜け、洗濯機を操作し始めた。これは今日やらなければならない仕事なので制止はできない。
「布団も干しますよ。万年床じゃあないですよね」洗濯機が回り始めるとその音をBGMにして部屋のカーテンを開けて回り、演習に出かける時以外は敷きっ放しの布団を2つ折りにした。大学時代、「女性が男性の部屋を訪れた時に蒲団を畳むのは自衛手段だ」と聞いたことがあるが、そのような計算が働いている様子はない。気がつけば中村士長は窓を開けると掛け布団と敷き布団を抱えてベランダに出ると手すりに並べて干し始めている。20歳を過ぎて間もない若い娘が男の体臭(流石に加齢臭ではない)が染みついた布団を気にせずに抱えられるのが不思議だが、これも任せておいて損はないようだ。
ようやく意識が目覚めた松山2尉は手渡された朝刊を抱え込むように腕組みすると中村士長の仕事の見学を始めた。実は松山2尉も第35普通科連隊の臨時新隊員教育隊の前期課程や新隊員後期課程の区隊長を経験しており、陸士の営内生活の指導には自分なりの一家言を持つようになっている。その目で見ても中村士長の動きには無駄がなく非常に熟練しており、家事のプロ=家政婦のレベルだ。これが坊主兼業のモリヤ1尉であれば修行僧の流儀も基準にするから難易度は上がるはずだが松山2尉は関知していない。
「遅くなりましたが朝昼兼用のご飯にします」2つある部屋の寝室ではない方には事務机と本棚を置き、本や雑誌、DVDやパソコンのディスクが山積みになっているため手をつけず、寝室と台所にだけ掃除機を掛けた中村士長は紙袋からエプロンを出すとビニール袋から食材を出しながら声を掛けた。起こされて小1時間が経過して腹が空いてきたところだ。
「前回は簡単にオムライスでしたから、それしかできないと思われないように今日は少し頑張ります」確かに前回は冷蔵庫にあった玉葱とベーコンと卵を使ってのオムライスでカップ・ラーメンは先に食べてスープ代わりにした。
「ご飯は何合炊いてあるんですか」「朝だけだから1合だよ」「やっぱり・・・サンドイッチを買ってきて正解だったわ」流しに向かった中村士長は炊飯ジャーを開けて確認するとシャモジで掻き回しながら会話を始めた。松山2尉には電話を掛けて来る友人がおらず、この部屋で会話が成立することはない。前の住人のモリヤ1尉夫婦は普通の数倍以上の会話・議論を交わしていたようなので壁に耳があれば懐かしさに感激しているはずだ。
その後も鍋や食器、調味料の場所と好みの量の質問が続いたため新聞を熟読することができなかった。それでも自炊は朝食だけを基本としている松山2尉の棲家では足りない物だらけで、張り切って乗り込んできた中村士長としては不本意な料理になったようだ。
「味噌くらい買っておいて下さい」「カップで十分だろう」味噌さえ買い置きしていなかった。
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  1. 2019/11/09(土) 13:05:06|
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