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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月17日・日系人部隊・第442戦闘団の任務が終了した。

1942年6月15日にハワイで編成が開始され、1943年1月28日に正式に発足し、9月22日にイタリアのサレルノに上陸して29日に戦闘を開始して以来、ヨーロッパ戦線で幾多の激戦と過酷な任務を遂行し、アメリカ陸軍史上最高の武勲・戦功を上げてきた第442戦闘団の任務が1944年の明日11月17日に終了しました。
ヨーロッパにおける第2次世界大戦そのものは1945年5月8日のナチス・ドイツの降伏まで継続しており、1944年6月6日にフランスのノルマンディーに上陸した英米軍はソ連軍と東西からベルリンを挟撃する作戦を開始し、8月25日にパリ=フランス、9月3日にブリュッセル=ベルギーを解放していましたが、モントゴメリー元帥が強行した9月17日から25日のマーケット・ガーデン作戦(=映画「遠すぎた橋」)の失敗によって攻勢は停滞し、この時期からドイツ軍は開発を勧めていたジェット戦闘機のメッサーシュミットMe262やV-1飛行爆弾、V-2弾道弾を実戦投入し始めていたのです。さらに12月16日からはベルギーとルクセンブルグの森林地帯でバルジ作戦による反攻を試みたのですから作戦終了によって任務を解かれたのではないことは明らかです。
この頃、442戦闘団はフランス東部のアルザンヌ地方でナチス・ドイツの精鋭部隊・武装親衛隊との山岳戦闘に勝利してブリュイエールを解放した直後の10月25日に受けた第141連隊第1大隊=通称・テキサス大隊の救出作戦によって216名が戦死し、600名以上が手足を失うなどの重傷を負っており、11月11日に催された第1次世界大戦の休戦記念日の式典には26名しか列席できず、それを見咎めた師団長が「全員参加を命じたはずだ」と叱責すると指揮官が「これが全員です」と答えた悲惨な状態でした。442戦闘団が1944年9月にイタリアからフランス戦線に移動して第36師団に配属された時点では2800名だった兵力がこの時点では半数の1400名になっていたのです。
ところがアメリカ軍はアメリカ人の兵士を投入することを躊躇するような過酷な作戦も迷わず命令できる日系人部隊を手放すことはなく、新たに日系人の兵士を補充して再編成を取り、再びイタリアへ送るとアフリカ系の兵士が主力の第92師団に配属するとイタリアが降伏した後、ナチス・ドイツが占領したまま半年にわたり膠着していた戦線を30分間の攻撃で突破したのです。それだけではなく442戦闘団隷下の第552野戦砲大隊はナチス・ドイツ国内に送り込まれ、ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所を解放しました。しかし、連合軍は第2次世界大戦におけるナチス・ドイツの共犯者だった日本人=日系人がユダヤ人を解放した事実をパパ・ブッシュ政権だった1992年まで隠蔽していました。
この戦闘を最後に442戦闘団は力尽き、単一部隊としてはアメリカ陸軍史上最多の個人の勲章と部隊感状を獲得してこの日を迎えたのです。それでも戦傷者に贈られる勲章=パープル・ハートが部隊の代名詞になっていたように無事にこの日を迎えた兵士は皆無に等しく、遺骨と魂魄として帰国を果たした英雄を除けば大半はヨーロッパの軍病院で治療を受けることになりました。生存者が帰国してトルーマン大統領の出席の下、ワシントンで歓迎と解散の式典が挙行されたのは1946年7月15日のことでした。
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