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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1739

それからも中村士長は清く正しく美しい通い妻を続け、東京六大学卒で一般(部外)幹部候補生出身の松山1尉を個人教授にしたおかげもあり1選抜で陸曹候補生に合格し、朝霞駐屯地の女性自衛官教育隊での前期課程と松戸駐屯地の需品学校での後期課程を終えて帰隊した。愛知地方連絡部本部の補給係は長期不在になるため後方支援連隊のWACの士長と交代している。
「陸曹になったら特外(特別外出=外泊)が取れるようになるけど宿泊先はここで良いでしょう」久しぶりに通ってきた妻は手際よく家事を片づけながら台所の座卓で新聞を読んで久しぶりに関白亭主を満喫している松山1尉に声をかけた。松山1尉も中村候補生が入校中に重迫撃砲中隊長に就任したが、普通科中隊に比べて人数が少なく、移動は車両が主であり、高度な計算により着弾点を修正する前進観測班を有するため自他共に認める頭脳労働者として無意識に隊員と距離ができてしまう松山1尉には適材適所だった。
「今までも携帯の番号で良いのにワザワザ連絡先をここにしてたんだろう。何を今更だよな」「でもWACの間では貴方との交際期間が1年半を過ぎても私がバージンのままなのが営内伝説になってるのよ。朝霞では貴方が性的不能じゃあないかって言うから正拳突きを喰らわしておいたわ」実は2人は本当に清く正しく美しい純愛のままなのだ。演習から帰って昼寝をしているのに添い寝をすると股間が凶暴に臨戦態勢になるのは目撃しているが、それでも寝たふりをしている。これが性技に熟練したWACであれば馬乗りになって逆レイプするところだが、中村士長も初心者なので首を傾げて寝顔を眺めているだけだった。
「僕は同じ学部の女子学生が政治屋の事務所に入り込むのに身体を提供しているのを見てきたからお前が守っている純潔を大切にしたいんだ。遊びで他の女を抱くことがあってもお前を抱くのはまだ先だ」「キェーッ」松山1尉が口を滑らせたため軽い手刀が脳天に炸裂した。
「今度、名古屋でケンズバーがあるんだけど一緒に行ってよ」裕美が3曹に昇任して「通い妻」が「泊まり妻」になっても2人の不思議な生活は変わらない。今夜も夕食の支度を終えて自分の席に着くと2つ折りの封筒に入った券を手渡した。この場面は極真会館愛知県大会の時と同じだ。あの大会で中村士長は口腔内を4針縫う重傷を負い、初めてこの部屋に泊まった。
「ケンズバーって何だ。最近は市内に飲みに出てるじゃあないか。今度はバーに行ってみたいのか」松山1尉は大学時代から酒は下宿で勉強しながら飲んでいた。自衛隊に入ってからも独身幹部宿舎の部屋に引き篭もっていたため飲み屋については門外漢だった。だからバーとスナック、パブとクラブ、ラウンジの違いは判っていない。
「ケンズバーは平井堅のお酒が出るコンサートだよ。歌とお酒に酔って楽しむんだけど、夜の開演だから松戸までだと帰隊遅延になっちゃうから諦めたんだ」「平井堅って『SHE』をカバーしてる歌手だな」この名前も初めて泊まった夜につながって行く。
「堅さんは『楽園』に続いて『even if』や『Ring』『Life is』もヒットしているし、カバーも素敵だから絶対に感激するわよ」中村3曹は熱弁を揮うが、松山1尉はインターネットで平井堅がカバーしている「SHE」を聴いてみた。すると一緒に見つけた元祖のシャルル・アナヴールの方に感激していた。
「だから来週の金曜日は予定を入れちゃあ駄目よ」「はい、判りました」どうも関白亭主の座が危うくなっているような気がする。このままでは尻に敷かれる座布団、下手すれば足で踏みつけられる玄関マットになりそうだ。少なくとも手足を使った喧嘩で勝てるはずがない。
ケンズバーの会場は一般的なコンサート・ホールではなく薄暗くした平らな広い部屋にステージを設けてそれを囲むように席が並んでいる。ところどころに酒を用意するテーブルがあり、本式の衣装を着たバーテンダーがプロの仕事でグラスに注いでくれる。
「自分を強く見せたり 自分を巧く見せたり どうして僕らはこんなに 息苦しい生き方選ぶの・・・」平井堅の初期の作品は和製ポップに分類される若者向きな曲調だったが、「楽園」のヒット以降、大人もジックリ聴けるバラード調の歌が多くなった。松山1尉も「Life is」に聴き入りながらグラスを口に運んでいる。中村3曹は歌に夢中になりたいのだが、あまり乗り気ではなかった松山1尉の反応が気になって歌と酒に酔うことができないでいた。
「・・・答えなど何処にもない 誰も教えてくれない でも君を思うとこの胸は 何かを叫んでる それだけは真実」中村3曹が歌の合間に横を見ると松山1尉もこちらを見詰めていた。その強い視線に心を射抜かれてしまった。松山1尉は歌詞に自分の気持ちを重ねるような単純な人間ではないが、肉声の熱唱が美酒で解きほぐされた心を強く捕えたのかも知れない。
「愛してる・・・結婚しよう」薄暗い空間でステージに注がれる光線に浮かび上がった松山1尉の唇がそう動いたように見えた。しかし、言葉は続きが始まった歌声で聞こえなかった。
う・中村裕美士長イメージ画像(士長時代)
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  1. 2019/11/19(火) 11:30:19|
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