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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月20日・ロシアの文豪・トルストイの命日

1910年の明日11月20日はロシア文豪の代表格・レフ(ギリシャ語ではレオ=ライオン)・ニコラヴィッチ・トルストイさんの命日です。82歳でした。
野僧はトルストイさんの作品は小学生の高学年から中学生にかけて「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」に目を通していましたが(愛読・熟読とは言えない)、邦訳があまり名文・美文・巧文ではなかったので完読するのは大変でした。
トルストイさんは1828年にモスクワの南南西172キロのヤースナ・ボリャーナで名門・伯爵家の4男として生まれました。ところが2歳で母を亡くし、9歳の時に父が帝室に出仕するためモスクワへ転居したものの半年後にはその父も亡くして祖母に引き取られ、翌年には祖母も亡くなり、父親の妹=叔母の屋敷に身を寄せるとしばらくしてこの叔母も亡くなり、最終的には13歳で騎馬民族・コッサクの土地であるカザンに住む別の叔母に引き取られると言う日本人好みの不幸な生い立ちになりました。それでもカザフで成長して大学まで進学しますが社交界に入り浸って成績は低迷し、19歳で父の領地を相続することになったのを機に中退して生まれ故郷に戻ったのです。
領地では農業経営に取り組むと共に大学時代に傾倒していたジャン=ジャック・ルソーさんの社会契約説(人民の身体と財産を社会全体で守る)を実現するため農民の生活の改善に努力しましたが簡単に挫折したそうです。その後は領地での収入でモスクワやサンクトペテルブルグ(冬と夏の首都)などを遊び歩いてしましたが23歳で帝政ロシアとコーカサス地方のイスラム教徒・チェチェン人の間で1817年から続いていた戦争に志願して貴族だけに士官として参戦しましたが、本気で戦争をしていなかったらしくこの頃から小説の執筆を始めたようです。この作品をモスクワの雑誌に発表したことで作家として注目を浴びますが、本人は文学よりも社会事業に取り組んでいたため現在でも長編に過ぎる作品の評価よりも農奴の解放者、社会改革の先駆け、非暴力主義者として聖人君子のように持て囃されることになっています(しかし、ロシア正教からは破門されている)。
トルストイさんは34歳と18歳の年の差婚したソフィア・トルスタヤさんが世界3大悪妻の1人として有名で(他の2人はソクラテスさんの妻・クサンティッペさんとモーツアルトさんの妻・コンスタンツェさん)、「恐妻は夫を(寡黙な)哲学者にし、悪妻は(自己犠牲の)宗教家にする」との金言を残しています(野僧は実感できます)。実際、妻から逃れるため家出した列車の中で肺炎を起こして駅長官舎に運び込まれ、そのまま亡くなったのです。最期の言葉は「妻を近づけるな」だったそうです(これも同感です)。その割に9男3女を儲けていますから若い頃は好かったのでしょう(何が?)。
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  1. 2019/11/19(火) 11:31:28|
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