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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1741

松山1尉は中隊長として演習と冬期の体育訓練、さらに年度末の報告や計画の策定、人事異動の調整などで多忙な時期に合間を見つけて2人で桑名の松山家と名張の中村家を訪ねた。松山家は桑名名産の鋳物と萬古焼きの卸売会社を営んでいた父は松山1尉が大学時代に癌で病没しており、母も病気がちで墓参と見舞いだった。
土産は虎屋の「ういろ」だ。「外郎(ういろう)」を元祖(実際は小田原)と言い張っている山口県人を除く他の地域の人間はキオスクや車内で売っている青柳と大須の「ういろう」を名古屋の銘菓だと思っているが、意外にも東海地方の人間は「伊勢名物・虎屋のういろが一番だ」と言っている。だから名古屋駅に行くと地下街に出店している虎屋で買ってくるのだ。
「よくお前がこんな可愛らしいお嫁さんを見つけたもんだ」病室で中村3曹と対面した母は安堵と感慨にふけりながら涙を浮かべて手を握った。中村3曹も握力を緩めて握り返した。
「この子は偏屈者だけど根は優しい正直者なんですよ。だから私が死んだ後をよろしくお願います」「死ぬなら僕が名古屋にいる間にしてくれよ。演習中じゃあない方が助かるな」母が「根は優しい」と言った傍から本人が引っ繰り返した。そこは「正直者」の方なのだろう。
一方の中村家は盆地の名張市を囲む丘に近鉄が開発して花の名を冠した住宅街の1つ蕗(ふき)ヶ丘にある。現在の名張市の中心は近鉄の桔梗ヶ丘駅なのだが、蕗ヶ丘は旧市街地にある名張駅の方が近い。ただし、出入口は駅舎とは反対側の東口を利用する。
「初めまして。松山と申します」名張駅には中村3曹の父が車で迎えに来ていた。父は航空自衛隊の曹長だが会津若松出身と聞いている。その通りに眼光鋭く古武士然とした風貌だ。
「中村・・・曹長です。松山1尉」父は返事をしながら姿勢を正して10度の敬礼をした。松山1尉と中村3曹もそれに倣った。頭脳労働者を自称する松山1尉の外見からは余り自衛官らしさは感じられないはずだが、父には何か特別な感覚が働いたのかも知れない。
蕗ヶ丘でも初期に分譲されたらしい比較的古びた作りの住宅に招き入れられて、座敷の床の間の前で両親と松山1尉、中村裕美は向かい合って座った。父は3男なのでまだ佛檀はない。
「あらためまして松山千秋1尉です。守山の陸上自衛隊第35普通科連隊で重迫撃砲中隊長を務めています」「こちらこそ中村正敏曹長です。笠取山の第1警戒群の監視隊の先任空曹をやっています。こちらは裕美の母の玲子です」こうして見比べてみると中村3曹は母親似のようだ。それでも眼光鋭いのは父親譲りのような気もする。
「唐突ですが本題を述べさせていただきます」「ゴクリ」時候の挨拶は得意でない松山1尉はいきなり畳に手をつき前口上を述べた。その奇襲攻撃に父は生唾を飲み込んで応じた。
「裕美さんを、お嬢さんを妻に貰い受けたく存じ、お願いに参上つかまつりました」隣りで畳に手をつけて聴いている中村3曹も呆れるような改まった古語が並べている。それでも父は自分の手の甲の拳胼胝(けんだこ)を見ながらうなずいている。桑名の菩提寺の松山家の墓所は格式が高そうだったので本来は育ちが良いお坊ちゃんなのかも知れない。
「裕美、お前はそれで良いんだな」「はい」「こう言う時は、よく考えて出した結論になるように少し間をおくものよ」父の確認に中村3曹が即答すると母が呆れたようにたしなめた。この家庭内の会話を聞けば中村家も旧家なのは確かだ。
「私は会津っぽでして」「それじゃあ強情な訳ですね」「やはり『坊ちゃん』は読んでおられますな」挨拶が終わって茶話会に移ると父の自己紹介から盛り上がり始めた。松山1尉の返事は夏目漱石の名作「坊ちゃん」で山嵐の自己紹介に坊ちゃんが答えた台詞だ。
「本当は姉2人が結婚する前に末っ子が先に行くなんて許されないと思っていたんですよ」「『ならぬものはならぬ』でしたか。危ないところでした」ここでも松山1尉の会津人気質を述べた返事は父の感心を呼んだ。中村3曹は松山1尉が事前に綿密に情報を収集した上で万全な計画を立案し、大胆に実行することを何度も目の当たりにしてきた。今回も難敵である父を攻略するために会津と航空自衛隊でも警戒管制員の情報収集に励んでいたに違いない。
「でも貴方が桑名藩士の家柄だと聞いて許すことにしたんです」「高須4兄弟の御縁ですね」ここまで話が高度になると中村3曹は取り残されるが父から解説を受けている母は黙って耳を傾けている。高須4兄弟とは木曽3川の河口にある3万石の小大名ながら松平家として徳川御三家を始めとする親藩・枝胤・名門譜代に養子を提供していた高須藩の4人の兄弟が尾張(2人)と会津、桑名の藩主となり、幕末の混乱期に活躍したため並び賞賛されていた。
「容保公も兄の尾張公の弱腰に不信感を抱かれてからは桑名の定敬公と協調して難局に立ち向かっていかれたのですから願ってもいない御縁だと思った次第です」実は松山家の先祖は鳥羽伏見の戦いで討ち死にして賊徒となり商人として身を立てたのだ。歴史的な結縁になった。
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  1. 2019/11/21(木) 13:13:28|
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