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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1745

ニューヨークに帰った杉本は工藤に安楷林(アン・ヘリム)を「処理」したことを報告した。今回の訪韓に当たってはジャーナリストとしての立場上、これまでのような協力が期待できなくなっている安楷林とは別れ、在韓アメリカ海軍の広報官であるクミコ・トミタ少佐に乗り換える予定を報告していた。それが予定の半分以下での早期帰国になったので工藤も理由は推察していた。おそらくトミタ少佐とは接触できなかったのではないか。
「安は私の身元調査を始めていたようです」「長いつき合いだから薄々は感じていたのだろうが、何か切っ掛けがあったのかね」工藤の質問は遠回しに杉本の失策を確認している。諜報要員が家族を持つには岡村のように事実は知らせなくても暗黙の了解を獲得して消極的協力者にするか、松本のように惚け通し、騙し抜いて無関係を維持するかを選択しなければならない。ところが杉本は安楷林を性欲と業務に利用しただけで人間としての配慮が欠落していたようだ。
「私がコルベット・天安を調査した時の資料を盗み読んだと自白しました。データの保管は厳重にしていたのですが、安のパソコンを使って入力したため何らかの手段で検索することに成功したのかも知れません」杉本の説明に工藤は苦い顔をして当番の本間が出したコーヒーを飲んだ。杉本は倉田の死後はこの職場でのコンピューター操作の第1人者であり、ジャーナリストとは言え素人にアクセスされるような保全処置はしていないはずだ。
「一度も聞かせたことがない私のアメリカでの名前を知っていたので自白剤を使用してそれを漏らした相手を確認しました」「それで漏洩先は」「念入りに尋問しましたが、漏洩した可能性は低いと判断して処理したんです。つまり事前の防護処置と言うことです」工藤は「念入りな尋問」に拷問が伴うことは承知している。それにしても杉本の説明は時折、言い訳に聞こえることがある。工藤はその点を最上位に立つ者としての器量不足と見ていた。
「即断即決は結構だが過剰処置だった可能性も否定できんな。彼女は著名人だから突然の死について詮索されることは十分に考えられる。彼女はクリスチャンではなかったかね」「はい、そうです」「だったら遺骸は火葬されないから、死因に対する疑惑が生ずれば薬物反応を調べられる惧れもある。ガス爆発の後の火災で遺骸がどの程度、焼けたのかを調べる必要はあるな」ここまで話して工藤は長机の端で本間と一緒に聴き耳を立てている岡倉の顔を見た。つまりこの仕事の担当は岡倉を指名したのだ。
「実は私としては希望を提案したいんです」杉本はしばらく黙りこんだ後、意を決したように工藤に向かって口を開いた。杉本の顔から目を離さないでいる工藤は黙ってうなずいた。
「韓国の情報については陸軍内に人脈を持つ杉村(岡倉の職場での偽名)で十分でしょう。私としては長年の希望を実現するためにも北への潜入を試みたいと考えています」「拉致被害者の所在確認だね」「今となっては生存確認が先になります」杉本は日本海側の中心都市の出身で近隣の町や対岸の島でもカップルや母娘の失踪事件が発生していた。地元の大学を卒業後に一般(部外)幹部候補生で入隊して北海道の特科連隊の幹部として勤務している頃から全国各地で頻発した日本人失踪事件が北朝鮮による拉致であるとの報道が始まり、強い関心を持って研究してきた。その後、地元を管轄する師団司令部に転属すると子供の頃から在日半島人の同級生から習ってきた半島語の語学力を買われて現在の職務に採用された。この時、勧誘に応じた動機は「拉致被害者の救出には自衛隊による強行奪還しかない」との確信とその前提作りに貢献できると言う希望があった。
「北朝鮮の鎖国は中国共産党によるチベット支配と大差がないはずだ。私としては倉田くんの二の舞を踏ませる訳にはいかないな」工藤は複雑な顔をして首を振った。この表情は「組織としては必要性を認めるが危険度を勘案すると賛成はできない」と言う判断を示している。
「逆にフリー・ジャーナリストとしての取材名目で入国して監視係を買収しながら人脈を構築していくべきではないですか」岡倉も倉田が遂げた非業の死は忘れておらず、杉本まであえて危険を冒すことには賛成できないようだ。
「それでも現在の中国共産党の身元調査は完璧ですから中国経由での入国は無理でしょう。それが可能なら私が先に潜入していますよ」本間の顔には中国担当者でありながら台湾からの上海国際博への観光ツアーで入国して以来、共産党本国への潜入を果たしていないことへの焦燥が浮かんでいる。実際、中国では郵便物の内容確認や電話の盗聴、さらにインターネットの監視に人民解放軍に徴兵した専門家を動員しており、入国審査では国内の担当者だけでなく在外中国人に身元調査を実施させているのだ。それは先進国のような抽出ではなく例外を作らない完全実施だからまさしく完璧な防諜・監視体制だ。
「あくまでも希望だな」工藤はこの件をまだ確定していない後任者へ引き継ぐことを決めた。
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  1. 2019/11/25(月) 13:02:06|
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