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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

11月27日・パラオ・ペリリュー島が占領された。

昭和19(1944)年の9月5日に南北9キロ、東西3キロのパラオ・ペリリュー島に上陸して以来、第14師団歩兵第2連隊長・中川州男(くにお)大佐を指揮官とする日本軍守備隊の頑強な抵抗に苦しめられていたアメリカ軍が11月24日の指揮官の自決と翌25日の万歳突撃による組織戦の終結で明日11月27日にようやく占領しました。
太平洋方面のアメリカ軍はハワイを起点に陸軍を主力とするマックアーサー大将の部隊がニューギニア方面からの南周りでフィリピンを攻略し、ニミッツ大将の海軍と海兵隊に陸軍航空軍団を加えた部隊がタラワ、マーシャル、トラックの太平洋諸島を西に向かって台湾を狙う2正面の対日戦略を進めていましたが、ニミッツ大将が担当する太平洋諸島では日本軍守備隊の「水際阻止」や「万歳突撃」などの自滅的戦術によって短時間での陥落が続き、パラオ諸島よりも先にグアム、サイパン、テニアンも奪取したためパラオの戦略的意義は大きく低下していたのですが、アメリカ軍内のバランス感覚と両大将の面子もあって必要性に乏しいこの作戦が発令されたのです。
一方、中川大佐は満州からパラオへ配置される前に大連でアメリカ軍の戦術を熟知しているため「マックアーサーの参謀」と仇名されていた堀栄三陸将補の「敵軍戦法早わかり」の講義を受けており、それまでの日本軍守備隊のように大陸での日露戦争式戦術をそのまま離島に持ち込むことはしませんでした。先ずは洞窟を利用して地下壕を島内に掘り巡らせ、珊瑚礁の岩盤を掘って堅牢な陣地を構築しただけでなく上陸に先立ってアメリカ軍が加えて来る激烈な艦砲射撃や空襲による破壊を偽装する通常の陣地も上乗せしました。
こうして上陸してきた第1海兵師団はガダルカナル戦を経験した精鋭でしたが、人員で6倍、火力で10数倍の圧倒的戦力格差と島の狭さ(沖縄県与那国島と同程度の面積)、さらに上陸前の徹底的な艦砲射撃と空襲の戦果を過信して油断しており、師団長自ら「4日で終わる」と豪語していた作戦が2ヵ月半の地獄になったのです。
最終的に日本軍は戦死者10695人、捕虜220人と34人が昭和22(1947)年4月22日になって投降したのに対してアメリカ軍の戦死者は2336人でも戦傷者が8450人と合計すれば犠牲が上回っており、硫黄島での惨劇の予告になりました。
パラオ諸島は第1次世界大戦後にドイツの植民地から日本の信託統治領になり、それまでの奴隷的酷使と搾取とは逆に島内の公共施設の建設と農業・漁業技術の普及、鉱山の開発などと並行して島民への教育による物心両面の近代化を推進していたのです。このため島民の日本人に対する敬愛の情は篤く、アメリカ軍の上陸が迫るとペリリュー島の陣地建設に参加していた島民の大半は武器を取って一緒に戦うことを志願したのですが、中川大佐は「卑しくも帝国軍人たる者がお前たちのような土人と一緒に戦うことができるか」と罵倒して全員を強制退去させました。島民たちは裏切られた気持ちで日本軍が手配した船に乗りましたが、島を離れていくと日本兵たちが海岸に集まり、手を振りながら「有り難う」「元気でな」と声を限りに叫び、中川大佐は直立不動で敬礼していたと言います。同じデザインの国旗を用いているパラオが世界有数の親日国なのは当然なのです(一部の文化人が否定しても)。
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  1. 2019/11/26(火) 11:16:26|
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