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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1749

岡田恵子事務官が退官して1ヶ月、陸上幕僚監部法務官事務室の機能回復は思うに任せない状況が続いている。曹長の定年配置への移動も具体化してきたが二村由美事務官が女性同士の噂話で漏らしたため受け入れ部隊の陸曹たちから幕内各部課に問い合わせが入るようになってしまった。通常の陸曹の移動は交換トレードが基本だが、陸上幕僚監部については全国区からの選抜なので事前に情報が漏れると妙な波紋が起こりかねず厳に戒めなければならない。私は曹長が怒りの炎を噴き上げる前に二村事務官を指導することにした。
「二村事務官、少し好いですか」曹長が幕内の先任陸曹会同、1曹が補給係としての業務で席を外した時、近頃では珍しいほど手際悪くパソコンを打っている二村事務官に声を掛けた。それを見て「長年、郵政係として郵便物の受付と発送だけを仕事にしてきたことが原因」であり、「公務災害のようなものだ」と考えてしまうのは弁護士的思考ではないか。
「仕事中です。後にして下さい・・・あッ、どこまで入力したか判らなくなっちゃった。モリヤ2佐のせいですよ」一応、私は上司なのだが完全に舐められているようだ。これが懐かしくはない防府南基地の班長連中なら「あまり舐めとると舐めさすぞ」と毒づくところだが二村事務官の美貌を見ると冗談でもそんな気にはならない。私は眼鏡越しにこちらを睨んでいる二村事務官を慈眼(じがん・慈悲で包むような目)で見返すと話を続けた。
「仕事が中断したなら丁度いい。業務上の指導をさせてもらいますよ」「今、再開しないと課業中に終わらないんです。ながらで打てるほどパソコンに慣れていないので黙っていて下さい」二村事務官には先ず「佛の顔も3度」と言う古語を教えるべきかも知れない。自衛隊には「賞賛する時は大勢の前で、叱責する時は当事者だけで」と言う指導方法の原則があるが、この場に曹長がいれば暴力事件になりかねない態度だ。しかし、何よりも問題なのは二村事務官には悪意や敵意は全くなく、至極当然と言う感覚でいることだ。おそらく課業時間中に担当している業務を完了することが自分の責任で、それ以外は暇があれば請け負う余技に過ぎず、逆に暇を作らなければ拒否できると考えているらしい。監理部総務課が二村事務官を郵政係にしたのはこのバブル育ちの人間性を見切ったからであり、法務官室に回したのが厄介払いだったとすればそれこそ舐められたものである。
「それでは独り言を呟くから気にしてくれ」この前置きには皮肉を込めているが反応はない。目の動きを見ているとキーの位置を確認しながら操作している。つまり初心者と言うことだ。
「二村事務官も陸幕で10年以上勤務してるんだから人事情報に関する注意事項については十分に理解しているはずだ。噂話で漏らすのにも段階がある。少なくとも内示が出るまでは口止めしてからためらいがちの断片情報にするのが常識だろう。ところが・・・」「邪魔ですから黙って下さい」私が顔を注視しながら語りかけていたため二村事務官はパソコンの画面を見たまま指導を拒否した。広めの眉間に縦じわが入ったのは判った。
平成に入って以降、マスコミは「ハラスメント(嫌がらせ)」なる外来の概念を無制限に拡散させている。その発端となったアメリカの「セクシャル・ハラスメント」は本来、上司が地位を利用して部下の女性に性的関係を強要した心理的強姦だったのだが、日本社会ではそのような悪質な上司が見つからなかったため部下の女性の被害者意識が反応したことに適用された。この調子では二村事務官も「パワハラ」なる新造語を使ってマスコミに持ち込みかねないが、私としては法廷闘争に持ち込んで「ハラスメント」が個人の感情に基づく一方的な指弾であり、違法行為には当たらないことを判例とするために利用したいくらいだ。
「何にしても曹長には迷惑を掛けたんだから丁寧に謝罪する必要がある。少なくとも20秒間、90度の敬礼をしなさい」「・・・うるッせェな」二村事務官は私の聴力が超人的であることを知らないらしく、小声のつもりで呟いた捨て台詞も聞こえてしまった。そんな暴言を聞いても腹が立たない私は印可を受けた活き佛なので顔は4度のようだ。
「モリヤ2佐、防衛部長のところへ行ってくれ」その時、法務官室から電話が鳴る音が聞こえ、短い会話が終わったところで法務官が顔を出して声を掛けた。その瞬間に顔を愛想笑いに急変した二村事務官の反射神経には感心してしまう。
「防衛部長のところですか・・・何か事故でもありましたかね」弁護士を副業とする法務幹部になってから私は陸上自衛隊と言う組織の活動に直接関わることはなくなっている。その元締めである防衛部長からの指名となれば重大な事故が発生して損害賠償や裁判が予想されることくらいしか思い当たらない。それでも法務官は同行しないようだ。
私は机に広げている法律関係の図書と資料を整理するとパソコンの電源を切って席を立ち、ドアの前に立っている法務官に敬礼して防衛部に向かった。
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  1. 2019/11/29(金) 13:08:54|
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