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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

月刊「宗教」講座3・11増刊号

宮城県の友人からの「天罰とは?」と言う質問への回答
「天罰」と言うのは主に旧約聖書に描かれている説話で、有名なところでもノアの箱舟の大洪水やソドムとゴモラを焼き尽くした業火など数多くありますが、いずれも「ここまでやるか」と言うくらいの有無を言わさぬ大災害です。
カミが「罰する」と決めれば「箱舟を作れ」と声をかけたノアとその家族や、「今夜、遠くへ逃れよ」と教えソドムの街から脱出させたロトとその家族などを除けば、老若男女、長者に貧者、幼児赤子まで皆殺しですから、「日本人全体の罪を東北で罰した」と言う論理も成り立ちます。ただし、カミはノアに「もう洪水で地を滅ぼすことはない」と宣言していますから、今回の大災害が天罰と言うのは当りません。
友人の外国人キリスト教聖職者たちは以前から「日本人は正しい信仰をもっていないからカミの加護はない」と言っています。ようするに何か悪事をはたらいていなくても、唯一絶対のキリスト教を信仰していないことが大罪だと言うのです。確かに、ソドムが燃え上がった時、逃れる途中で「振り返ってはならぬ」と言うカミの戒めを破って振り返ったロトの妻は、その罰として塩の柱にされてしまいました。自分が住んだ街が焼けて、人々の叫び声が聞こえてくれば気になって振り返るは人の情だと思いますが、カミに背くことを何よりもの大罪とするユダヤ、キリスト、イスラム教では通用しないのです。
日本では昔から西日本の台風、大雨、北日本の豪雪、冷害、全国各地の火山の噴火、さらに干ばつや地震などの災害が年中行事化し過ぎていて、災害を「天罰だ」と言われても、その原因にする「大罪」のネタが切れてしまいます。ですから「荒ぶる神々の仕業」と言って、ひたすら畏れ慄き、身を慎みながら成り行きに任せて通り過ぎるのを待つしかなかったのでしょう。
そもそも神道が倫理(当時の武家社会の服務規則だった儒教の請け売りですが)を唱え始めたのは江戸時代になって宗教として自己主張を始めてからです。それまでは神佛習合の役割分担として、佛教が衆生を教え導くことの担当、神道は神々を祀り、穢れを祓い清める儀式の担当と決まっていましたから、神道には天罰を与えるにも罪を認定する基準そのものがなかったのです。
大体、日本の神々(皇室の祖先も)は、娘に夜這いをかけて孕ませるは、大酒を飲んで酔っ払ってランチキ騒ぎをするは、喧嘩をして相手を殴り殺すはと酒池肉林、乱暴狼藉の限りを尽くしていますから人間を罰する資格があるとは思えません。したがって日本の神話、民話や古典、お伽噺を読みますと、カミの怒りにふれて天罰を受けるのとは逆に、善行や信心によって天災から救われた話が多くみられます。
その最たるものが元寇の時に吹き荒れた神風で、そのおかげで元寇から日本を守った手柄は九州で元軍と戦って血を流した武士たちではなく、勅願を出して神に祈った朝廷のおかげにされてしまいました。
尤も、法華宗ではあの神風を日蓮聖人の法力で起きたことにしていて、それを信じてか、元寇の舞台である博多の東公園には日蓮聖人の巨大な像があります。
ところで本来、佛罰と言うものはありませんでした。
釋尊が説かれていた原始佛教は、非常に現実的かつ合理的な然も無神論で、「因果応報」と言うのも「原因があるから結果がある、良い結果が欲しければ良い原因を作れ」と言う単純明解な教えですから、救われる方法を示すにしても「津波に遭わないためには津波に襲われない高台に住め」と言うことになります。それでも災害に巻き込まれれば「『諸行無常』『諸法無我(この世の法則は人の理解の限りではない)』『生者必滅』と教えてあるだろう」と言われて終わりです。
ただ日本では佛教を、神道よりもパワーがある国家鎮護の法として受け容れられた経緯もあり、奈良以降の佛教は天災を抑える加持祈祷を専らにしていましたから、災害が起こると法力不足とは言えず、「佛罰が下った」とする言い訳することが流行るようなったのかも知れません。
日本人が「罰が当たる」と言うのは、何か大いなるモノが必ず人の所業を見張っていると言う畏れが根底にありますが、これは佛教と言うよりも神道の世界です。
さらに地獄が考えられたのは、悪事を働いた人間が罪を償わずに死んだら因果応報が成り立たない、悪事のやり逃げになると言う論理の展開ですが、地蔵菩薩のお経には地獄の解説が事細かに延々と描かれていますから凄い想像力です。
しかし、今回の千年に一度の大地震の震源地は、かつて北朝鮮のテポドンが落下した辺りで、何かよからぬ兵器でも仕込んでいなかったかと疑ってしまいます。
ところで、天皇さんは毎朝、宮中の賢所で国土鎮護、天象平穏、国家安泰を祈念し、災厄は我身に受けると祖霊に申し上げる祈念を行われているはずですが、今上さんはわずか二十四年の御世に阪神・淡路、奥尻、中越大震災、そして今回、さらに全国の各地の火山が噴火するなどの天変地異が毎年のように生起していて、国土を鎮め切れないのなら譲位されるべきではないでしょうか。
かと言って愛妻以外にとりえのなさそうな日嗣の皇子では尚更不安ですが・・・これこそ天も畏れぬ暴言ですな。
  1. 2013/03/11(月) 19:30:22|
  2. 月刊「宗教」講座
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