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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1754

森田曹侯補士が旭川の大型自動車課程に入校している頃、松山3佐は東京に出張を命ぜられた。表向きは世田谷区にある三宿駐屯地の補給本部で導入予定の新規装備品の情報収集だが、実際は連隊長から与えられた密命なのは言うまでもない。それでも陸上幕僚監部には立ち入り禁止で、連隊長を通じて伝えられた渋谷のスナックで待ち合わせることになっている。そこでは片浜と名乗るように指示を受けた。そこで陸上幕僚長と防衛部長の面接を受けるらしい。
「すみません。片浜と言いますが」「佐藤さんのお客さんね。聞いていますよ」松山3佐は渋谷でも表通りから外れた街角でスナックを見つけた。するとカウンターの中に立っている初老のママさんに声を掛けられた。ママさんはワンピースを着ているが青森や名寄のスナックよりも地味でそれが上品に感じる。取り敢えずママさんに勧められてカウンターの席に座った。
「東北の支店から出張してきた社員から営業状態の報告を受けるって聞いてるから、お構いしませんけど許して下さいね。東京へはよく来るの」ママさんは佐藤と呼んだ客のボトルを探しながら背中を向けて訊いてきた。
「大学は東京でしたよ」そうは言っても松山3佐は大学在学中に桑名の父親が癌を発症して長期入院したため送金が滞りがちになり、学業以外はアルバイトに明け暮れてスナックで飲む余裕はなかった。今日も三宿駐屯地の担当者に出張の確認印をもらった後は新宿区W稲田にある母校や送金が滞ってから転居した安アパートを訪ねたが、都会の空気の中では完全に場違いだった。その時、ドアを開けて中年の男性が入ってきた。
「あら部長さん、片浜さんが来られていますよ」ここでの役柄は不明だが、身元を隠す必要があることは出張までの経緯でも洞察できる。名寄では副連隊長や1科長さえも何も聞いておらず、出張命令の合議(命令などの確認・同意の捺印)をもらうのに苦労した。
「長旅で疲れているところに悪いな。営業部長の佐藤だ」「岩手支社の片浜です」ママさんに促されて店の隅のボックス席に移動すると水割りを作っている横で佐藤が話しかけた。松山3佐も8月に交代した陸上幕僚長の顔は東北方面総監だった頃から知っている。また同日付で交代した前防衛部長は第1次イラク派遣の時の名寄・第3普通科連隊長の晩鐘将補(現在は第3師団長の陸将)だったが、こちらには面識がなさそうだ。
「酒は社長が来られてからにしよう。時間に几帳面な方だから間もなく来られる・・・」防衛部長が言い終わる前にカウ・ベルが鳴り、品の良い白髪で理知的な眼鏡が似合っている社長=陸上幕僚長が入ってきた。防衛部長と松山3佐は立ち上がり、ママさんも壁際まで下がって出迎えた。ここで10度の敬礼をしては元も子もない。元々が基本教練が身につかない松山3佐は意識して背中を丸めて頭を下げた。
「初めまして。岩手支所の片浜です」「いつも有り難う。今日は現場の本音を聞かせてもらうつもりだから忌憚のない意見を期待しているよ」自衛隊では「ご苦労さま」が敬礼する時の定型句だが幕僚長はあえて避けたようだ。3人は幕僚長に合わせて席につき、ママさんは3つ目の水割りを作ってからカウンターに戻った。
「あッ、失礼します」ここで防衛部長が背広の胸ポケットから平たく小型の電子機器を取り出した。どうやら都会では急速に普及し始めているスマートホンらしいが、覗きこむと画面表示は「セフティ・コンファメーション(安全確認)」「ノー・レィディオ・ウェイブ(電波なし)」になっている。つまり盗聴器を確認したようだ。
「それでは話を始めましょう。その前に乾杯」「乾杯」防衛部長はスマートホン風の盗聴電波探知機材を胸ポケットにしまうとグラスを持って音頭をとった。幕僚長と松山3佐も合わせて顔の前に掲げたがグラスを当てて鳴らすようなことはしない。黙って一口だけスコッチの水割りで舌を湿らせた。ママさんはカウンターの中で視線をドアに向け、有線放送から流れるアメリカの古いポピュラー音楽に耳を傾けている。この店も企業などの密談に使われることは珍しくなく、信頼を維持するための節度を弁えているのだろう。
「片浜くんは現在の国際情勢をどう見ているのかね」先ず幕僚長が時事問題のように質問を始めた。松山3佐は合格しても結果不明の面接試験を組織の最上層部に個人の意見を直訴する好機と考えて腹を括った。それでも雑談を演じるため淡々と口を開いた。
「ブッシュ・ジュニア政権が燃え上がったイスラムの怒りの炎に水ではなく油を注いだため爆発的に大炎上している。同時に日本の愚挙によって軍備拡大の資金を自国で賄えるようになった中国が本性を表した。しかし、現在のオバマ政権には責任感と危機意識は微塵もない。そんなところでしょう」幕僚長と防衛部長は何故か顔を見合わせて唇を緩めた。
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  1. 2019/12/04(水) 12:56:45|
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