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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月6日・インド佛教の再興者・アンベートカルの命日

1956年の明日12月6日はインドのカースト制度で階層にも入らない不可触賎民=アンタッチャブルでありながら法学の最高権威として独立後のネール政権でインド憲法を起草し、晩年は佛教復興に尽力したビームラオ・アンベートカル法務大臣の命日です。
アンベートカル大臣は1891年にインド西部のムンバイ=ボンベイの不可触賎民(現在、「賎」は差別用語として省いていますがインド社会の意識を表すためあえて付けます)の集落で生まれました。イギリス人に仕えた頃に英語とマハーラーシュトラ語で正規の教育を受けていた父親が息子にも勉学を奨励したため17歳で大学受験資格の試験に合格したのです。イギリスによる植民地支配はヨーロッパ式の道徳を無遠慮に強制する側面があり、インドにおいてはカースト制度を否定していたので、不可触賎民のアンベートカル少年もボンベイ大学に進学することができて、4年間で政治学と経済学の学士号を取得して卒業しました。すると近傍の不可触賎民の存在に否定的だった開明的な地方君主から奨学金を与えられてアメリカのコロンビア大学に留学すると3年間で経済学の修士号を取得し、さらに翌年には論文「イギリス領インドの地方財政の進展」で博士号も獲得したのです。続いてイギリスへ渡るとここでも経済学者として認められ、ロンドン大学内の経済学校とグレイ法曹院への入学を許可されましたが、奨学金の期限が切れたため帰国しました。
帰国後は地方君主に仕えましたが周囲の差別は凄まじく、追われるようにボンベイに帰ることになりました。しかし、イギリスを通じて時代の流れを感じ取っていたインドの支配者たちがこの学才を放置するはずがなく地元の領主の推薦でボンベイの上級学校で教鞭を取り、その給与で隔週の新聞を創刊したことでロンドンへの再留学を果たしたのです。
ロンドン大学ではインドにおける貨幣経済を研究し、同時にグレイ法曹院でも学び、帰国時にはイギリスの上級法廷弁護士の資格を取得し、さらにドイツに寄ってボン大学で当時、流行していたマルクス経済学にも触れたようです(後に宗教を否定するマルクス主義に反対し、アジアでの佛教による制圧・駆逐を主張しました。全く同感です)。
帰国後は弁護士事務所を開設し、大学で教鞭を取り、本格的に新聞を発行するなど八面六臂の活躍を始めますが、当時のインド人の最大の念願だった独立よりもカースト制度の廃止に熱意を注ぎ、マハトマ・ガンジーさんとも距離を置き、イギリス総督府での活動で実務家としての頭角を現していったのです。1947年8月15日にインドが独立を果たすとネール政権の法務大臣に就任して憲法の起草に当たりますが、複雑な国内事情を反映した条文の作成は困難を極めたようです。
そんなアンベートカル大臣は1950年にセイロン=スリランカを訪問して同じようにカースト制を敷いていても差別ではなく区別になっている穏健な社会を実感して、それが佛教の平等主義に根差していることを知ると強い関心を持ち、インドでの佛教の復興を目指すようになり、1954年にはインド佛教協会を創立しました。アルベール大臣は死の2か月前の10月14日に50万人の不可触賎民と共に帰依と授戒を受け、正式に佛教徒になっています。
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  1. 2019/12/05(木) 12:58:46|
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