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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1762

電話で松泉の訃報を受けたモンチュウの女たちは漁業組合が提携している葬儀社の寝台車で遺骸と妻が帰宅するまでに交代で自宅に戻った。それぞれの子供に連絡して明日の通夜から葬儀まで参列させなければならないのだ。子供たちが就職している本土の企業も沖縄の伝統的な風習は可能な限り尊重しており、モンチュウの長の訃報については本人の両親に準ずる休暇の取得を認めているため、昨日の危篤の連絡で手続きは終わっているはずだ。
松栄の妻・勝子が家に戻ると美恵子が自分の部屋で中国語の教材CDを掛けながら会話の練習をしていた。イヤ・ホーンは耳鳴りがするので好きでないらしい。
「美恵子、伯父さんが亡くなったよ。明日は通夜、葬儀はこれからお寺さんが来てから決まるけどアンタもネエネたちと一緒に手伝うのよ」玄関まで響いてくる中国語に顔をしかめながら勝子が襖を開けると美恵子は蛍光灯の下で教科書を広げて、片仮名で書いた振り仮名をテープのイントネーションに合わせて読んでいた。
「明日は学校さァ。そのまま実習に行くから出られないよ」美恵子は母の命令口調に反抗するように言い返した。美恵子にとって松泉は前々夫・モリヤとの結婚を強く勧め、矢田との不倫で離婚したことに激怒し、モンチュウの中で孤立させていった首謀者に過ぎない。当然、死に対しても特別な感情はなく、葬儀は一族が果たす儀礼にもならない業務に過ぎなかった。
「アンタねェ・・・」勝子は怒りよりも呆れが先に立って手を振り上げる気にもならず、敷居を踏み越えることなく廊下から話を続けた。
「松真は本土から帰ってくるし、淳之介も石垣島から来るって言ってるんだよ。ネエネたちはもう家を出てこっちに向かっているのさァ。それで近所で暮らしているアンタが顔を見せなくて良いはずがないでしょう」母の声に怒気が強まったのを察して美恵子は背中を向けるとCDレコーダーを止め、振り返らないで返事をした。
「私はオトウの命令で伯父さんの髭を剃りに通ったのさァ。それで十分尽くしたはずだよ。死んでからまで面倒みないさァ」美恵子に国語の知識があれば「面倒をみる義理なんてない」と言うべきところだが、中国語教室では漢字は習っても日本語までは教えてくれないのでやはり無理だった。勝子の胸の中では感情が呆れから哀れみに移っていった。
最近、読んだ健康に関する雑誌に「発達障害」と言う特集記事が載っていた。その記事によれば発達障害は身体や学習、言語、行動などの発達が遅れた状態を指し、原因は先天的な場合が大半と言っていた。特徴としては精神の発達障害者では悪意のない自己中心の言動によって孤立することが極めて多く、さらに社会の暗黙の規範や常識を無視してもその問題点さえ自覚せず、むしろ攻撃性を発揮して激しく批判を繰り広げることが常態と解説していた。このため単独で集中して取り組む作業では通常の人間よりも高い能力を発揮するが、複数の人間との協力を要する組織に加わることには適性が低く、可能な範囲で社会から隔離することが周囲と本人の利益になると結論づけていた。夫とも4人の姉弟の中で美恵子だけが極端に成績が悪く、真逆な性格に育った原因を話し合ってきたが、本土復帰による学校教育の崩壊や優秀で真面目な姉弟への劣等感だけでは納得し切れなかった中でこの記事は勝子に確信を与えていた。
「アンタは伯父さんがどれだけ心配してくれていたかが判らないねェ」「あの人が心配していたのは私がモンチュウの恥にならないかだけさァ」この反応はやはり病的だ。勝子は興奮して目が据わった娘の顔を見ながら先天的に異常な人間として産んでしまった自分を責め始めた。美恵子が投げ散らかす暴言が常軌を逸していればいるほど自分の罪が重い気がしてくる。
「判ったわ。アンタの好きにしなさい。ただし、葬式に出ないなら参列する人たちがいなくなるまでこの辺りに近づかないようにするのよ。それこそモンチュウの恥だし、オトウの立場もなくなるから」母の言葉の裏にどれほど深い絶望がこもっているかを考えることもなく美恵子は許可を得たことに安堵し満面の笑顔になった。
「でも伯父さんの葬式なんてやっても無駄さァ。戦争で人を殺して、それから漁師で魚を殺して、殺してばかりの人間は地獄に堕ちるしかないじゃない」美恵子は襖に手をかけた母に暴言のトドメを吐きかけた。勝子は聞かなかったことにして襖を閉めた。
「朝焼け小焼けで大漁だ 大羽鰮(いわし)の大漁だ 浜はまつりのようだけど 海のなかでは何万の 鰮のとむらいするだろう」これはかつて美恵子が住んだ山口県でも長門市出身の金子みすゞと言う女流詩人の「大漁」だ。金子みすゞも結婚と育児が詩作に没頭することと両立できずに最後は自ら毒をあおって命を絶っている。美恵子は根暗な金子みすゞよりも攻撃性が強いので思い悩むよりも行動に移すから悲劇的な結末には至らないのだろう。尤も山口県が金子みすゞを観光に利用し始めたのは最近なので美恵子はこの作品を知るはずがない。
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  1. 2019/12/12(木) 13:36:42|
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