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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月13日・勝海舟と西郷南洲の会見

1868(慶応4)年の明日3月13日に江戸・高輪の薩摩藩邸で勝海舟と西郷南洲が会見しました。 
この会見では9日に駿河で山岡鉄舟との会見で取り決められていた将軍・慶喜さんの処遇問題が議題になり、親元である水戸へ預けられることが決まりました。と言っても水戸は尊皇攘夷の発信源であり、前藩主・斉昭の息子とは言え朝敵となっていた慶喜さんにとって安心できる場所ではなかったかも知れません。
また交渉が決裂した時には、イギリスへ亡命させることも考えていた節もあります。
実はこの1か月前、西郷さんはイギリス公使・パークスから「降伏している相手を攻撃するのは国際法に反する。若し、薩長が江戸を攻撃するのならイギリスはフランスと共に旧幕府側に付く」と申し渡されており、勝さんもそれを知っていて、降服条件の交渉である割に勝さんの要求が素直に通り、かえって江戸の治安の維持を旧幕府側が担い、そのための武器を持つことも許されています。、
一方、勝さんは交渉が決裂して江戸が攻撃されることになった時、ロシアがナポレオンを敗退させた焦土作戦を行うため、新門の辰五郎などの町火消しに放火の準備をさせていましたから話が決まってホッと胸を撫で下ろしたことでしょう。
旧幕府側に勝さん、討幕軍側に西郷さんがいたから平和裏に政権移譲が実現し、明治の新政府もスタートダッシュができたのでしょう。長州が妙な逆恨みを東北の奥羽越列藩同盟で晴らそうとさえしなければもっと穏やかになりましたが。
  1. 2013/03/12(火) 08:28:52|
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