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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1771

北海道の主峰・旭岳が白い冬用迷彩服を着こんだ頃、森田曹侯補士は依願退職した。これは「秋の演習が終わってから」と言う連隊1科の意向だったが、その癖、あくまでも依願退職扱いに固執している。任期満了退職者の時には定年退官者に準じて連隊の朝礼で紹介し、朝礼場に並んだ隊員たちの前を歩かせるのだが(定年退官者は正門まで並ぶ)、これを全て省略するらしい。それでも松山3佐は中隊長として最大限の儀礼を尽くした。
「これより11月1日付で退職します森田謙作士長の送別会を開催します」4中隊主催の森田曹侯補士の送別会が隊員クラブの大部屋を借り切って行われた。参加者は陸曹以上だが陸士の希望者も出席できる。通常、陸士の送別会は小隊や営内班までで中隊として催すのは異例だ。
「退職じゃあない。即応予備自衛官への配置換えだ」司会進行役の先任陸曹の開式の辞に早速、松山3佐がケチをつけた。つまり転属者の送別会と言う扱いなのだ。
「失礼しました。11月1日付で旭川駐屯地の第52連隊第2中隊に配置換えになる森田士長の激励会を始めます」言い直した先任陸曹が主賓席の松山3佐の顔を見ると少し表情を緩めてうなずいた。どうやら及第点だったようだ。本部を真駒内駐屯地に置く第52普通科連隊は北部方面隊の即応予備自衛官を一括して訓練・管理する専門部隊で第2師団の旭川駐屯地に第2中隊、第5師団の帯広駐屯地に第3中隊を配置している。
「それでは中隊長、訓示をお願いします」「森田曹侯補士も座ったままで聞け」指名を受けた松山3佐は隣りで立ち上がろうとした森田曹侯補士に声をかけて正座に座り直した。こうなると出席者たちも倣うことになるが、冬制服の営外者たちはズボンのシワに顔をしかめた。
「知っての通り森田士長は曹侯補士として入隊しながら契約を一方的に破棄されて退職することになった」いきなり禁句が飛び出したため陸曹たちは条件反射で視線を背ける。これは問題になった時、「聞いていない=無関係」と弁明するための予防処置だ。
「しかし、本人の国防に対する意識は揺るぐことなく即応予備自衛官と言う現代の屯田兵として引き続き任務を遂行することになった。本来であれば6年満期の隊員と同じく予備3曹に昇任させたいのだが人事(ひとごと)担当者が認めないので申し訳ないことになった。もう1つ、つけ加えれば冬季オリンピック経験者の尽力でスキー連盟に選手要員として登録されたから第3連隊の精鋭を差し置いてオリンピックに出場するかも知れないぞ。僕としてはそれを期待している。以上」終わってみれば松山3佐にしては珍しく軽めの挨拶になった。陸曹たちも毎度の小難しい話を聞かずにすんで安堵したように顔を見合わせた。
「次は森田士長の挨拶ですが、立たなくてよろしいですか」「オフ・コース」先任陸曹の確認に松山3佐は英語で答えた。今日の松山3佐は妙に軽い雰囲気だ。着任以来、悩まされ続けてきた森田曹侯補士の退職に不本意ながら結論が出て少し気が晴れたのかも知れない。
「今日は僕のために中隊の送別会を催していただきまして有り難うございました。お忙しい中、陸曹の皆さんに集っていただき本当に申し訳ありません」「吽(ウーン)」森田曹侯補士の大人びた挨拶に陸曹たちは感心したように呻り声を漏らした。
「僕は嫁の牧場で働きながら体力練成に励み、狩猟免許を取得しましたから自宅で射撃の技量を磨き、嫁の曾々祖父の跡を継いで屯田兵になります」「お前、いつ結婚したんだ」ここで営内班長の2曹が声をかけた。営内班長は人気DJの雪うさぎと交際していることは承知していたが、結婚を考えているところまでは把握していなかった。これでは退職時に提出する生活指導簿に不備ができてしまう。森田曹侯補士は申し訳なさそうな顔で頭を上げると話を続けた。
「籍は入れていませんが遠からず正式に結婚する予定です。式にはこの中からも何人か招待しますのでご出席下さい。話が長くなりましたからこれで終わります。本当に有り難うございました」最後に正座のまま深く頭を下げると陸曹は一斉に拍手し、連られて頭を下げた末席の陸士たちも遅れて加わった。4中隊では森田が最後の曹侯補士だった。
「次は乾杯です。グラスにビールを用意して下さい。音頭は直属上司である2小隊長にお願いします」先任陸曹の指示で宴席ではビールの栓を抜く射撃音とグラスに注ぐ歌声が鳴りわたった。中隊本部の総務係の1曹が部屋の隅の先任陸曹にグラスを持っていって手渡した。
「それではご指名に与りましたので僭越ながら2小隊長の鈴木3尉が乾杯の音頭を取らせていただきます」2小隊長も立ち上がることなく正座に座り直して前口上を始めた。
「森田士長は曹侯補士として陸士の模範であるのと同時に陸曹の補助としても活躍してくれました。小隊長としても大いに期待していたのですが・・・」「その話は飲んでからにしろ」2小隊長の前口上が松山3佐と同様の人事批判になりかけたところで1小隊長が制止した。この宴席は和室なので「壁に耳あり」どころではなく襖1枚では声は筒抜けなのだ。
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  1. 2019/12/21(土) 12:33:27|
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