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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1772

「少し失礼します」乾杯が終わり、両隣の松山3佐と1小隊長にビールを注ぎ、注がれたところで森田曹侯補士は席を立ち、端席に置いてあるビールのケースに向かった。本日の主役とは言え階級が士長である以上、陸曹たちには注いで回らなければならないのだ。
「中隊長、あまり今回の人事のことを公然と批判されるのは拙くないですか」森田曹侯補士が抜けた席に1小隊長が横滑りし、そこに2小隊長が座った。先ず1小隊長がビールを注ぎ、言葉を選びながら話を始めた。訓練幹部も兼務している1小隊長は副中隊長でもある。
「そうかね。問題を指摘する者がいなければ組織は同じ過ちを繰り返すことになる。今回の曹侯補士に対する処遇は明らかな不当人事じゃあないか。本来は内部告発すべきなんだが、ここまでで踏み止まっているのは森田士長が自分で納得したからに過ぎんよ」松山3佐は着任以来、森田曹侯補士の退職に関しては関係者を相手に徹底抗戦を繰り広げてきた。それは中隊長としての職務権限を逸脱することはないが、陸上自衛隊としての常軌を逸しているのも間違いない。そもそも陸上自衛隊ではレールの上の列車として走ることだけが許され、命令には反論はおろか疑問を持つことすら認められない。
「両小隊長は部内だろう。無難に勤めても3佐で定年だ。今後は連隊本部の科長か中隊長を歴任するかしかない。そんな自衛隊生活で満足かね」注がれたビールを飲み干した松山3佐はいつも以上に神質な目つきになり、諫言に徴発を返した。隣りで聞いている2小隊長も部内出身なのでこれは2人への挑発にもなる。
「そう言う中隊長も東京6大学卒の部外のエリートでありながらCGSにも行っていない万年3佐じゃあないですか」1小隊長は松山3佐に注がれたビールを飲まずに脇にやると口調を強めて反論した。2小隊長もうなずいている。どうやらこれが松山3佐に対する評価のようだ。
「僕は自衛隊の階級には全く興味がないから3佐でも1佐でも不満はないよ。守山時代の中隊長は部外出身の逸材だったが幹部名簿の1尉のトップのまま刑事被告人になったからな」モリヤ1尉の北キボールでの暴徒殺害事件も東北地区太平洋沖地震の衝撃の影に消えかけているようで2人の若手幹部は全く関心を示さなかった。
「これは業務隊辺りから聞こえてくる噂話なんですが、中隊長は陸上自衛隊に愛想が尽きて退職を考えておられるとか」1小隊長が自分の暴言に気づいて口ごもってしまうと2小隊長が代わって話を継いだ。この噂が出処は妻の松山裕美2曹なのは言うまでもない。厚生班は駐屯地に所在する全部隊の隊員が出入りするので噂の拡散は極めて早いのだ。
「元々愛想は抱いていないが、嫌悪感が増大したのは間違いないな。このまま諸官らと同じ階級、同じ中間管理職として夫婦共働きしながら朽ち果てていくのかな」これも部内出身者の最終階級・最終役職を「朽ち果てる」と揶揄する皮肉だった。しかし、2人の小隊長は退職の可能性に意識が行ってそれには気づかなかった。
陸曹たちは幹部たちが難しい顔で議論している間は近づかず、耳だけを演習中のように働かせて会話の内容を傍受していたが、今回は「中隊長の依願退職」と言う重大情報が漏れ聞こえたため宴会は密談の場のような雰囲気になってしまった。
サークル・イズ・バンブー・ロープ=円も竹縄=宴も酣(たけなわ)になってきたところで森田曹侯補士が席に戻ってきた。かなり飲まされたようで珍しく顔が紅潮している。すると松山3佐が後ろに置いてあった紙袋を取って立ち上がった。
「ここで松山屯田兵に記念品を渡したいと思う」松山3佐の顔と口調が快活に戻り、出席者たちも安堵して注目を浴びせた。森田曹侯補士も少しふらつきながら立ち上がった。
「出してみろ」「はい、有り難うございます」紙袋を受け取った森田曹侯補士に松山3佐が指示を与えた。重さと大きさ、弾力から見て衣類らしい。森田曹侯補士が取り出すとそれは学生服と学生帽のようだ。しかし、生地は自衛隊の冬制服のような羅紗で幾つかの刺繍が見える。
「これは・・・」「屯田兵の軍服だ。僕の大学の友人が国営放送の美術部にいて、坂の上の雲の撮影で大量に用意した明治時代の軍服の不用品を送ってもらったんだ」松山3佐の説明に森田曹侯補士は上衣を広げて披露した。すると胸ポケットはなく襟には赤い筋、両肩には赤い肩章が縫い付けてあり、両袖口には2センチ半と5ミリくらいの金筋、左袖の上部には赤い星が刺繍してある。続いてズボンを出すと側面に赤い線が入った紺地だが色に濃淡がある霜降りだ。帽子は学生帽のような形でジャバラと呼ばれる腰の部分は黄色。正面には金の星の帽章だ。紙袋の底には白の脚絆まで入っている。
「袖の階級章は2等軍曹、いわゆる伍長のものだ。これもおまけだ」最後に松山3佐はで別の袋から革製のベルトと牛蒡剣と呼ばれる30年式銃剣、さらに編み上げ靴を手渡した。
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  1. 2019/12/22(日) 14:02:18|
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