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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1774(少し体験談です)

「中隊長、1科まで来て下さい」松山3佐が朝礼を終え、ゲートまで森田曹侯補士=今日からは森田士長(正式には「予備」がつく)を送って中隊長室に戻ると、待っていたかのように1科長から電話が入った。第3普通科連隊の隊舎は連隊本部と各中隊は別棟になっているため連隊本部の窓から監視している訳にはいかない。中隊事務室に戻り次第の連絡を指示していたようだ。松山3佐としては1科長の小言は聞き流しても、1尉の1科長が松山3佐を叱責するのに副連隊長を介入させるのが煩わしい。
「松山3佐だ、入るよ」1科のドアを開けると松山3佐は独り言のように声をかけた。部屋の主が1尉なので敬礼する相手がいないのだ。
「これはお呼び立てしてすみませんでした」松山3佐を見て1科長は席で立ち上がると無理な愛想笑いを浮かべて一礼した。
「どうぞこちらへ。コーヒーをお出ししろ」1科長は自分の机と総務・人事担当者の席に距離を作るように置いた1人掛け対面のソファーを勧め、当番士長にコーヒーを出すように命じた。当番士長は帝国陸軍の当番兵と同じく各中隊から1週間交代で1科に詰めている士長で連隊長・副連隊長室の清掃などの雑用を担当している。
「今日は森田士長の依願退職日でしたが、4中隊の見送りは中々奇抜でしたね」コーヒーが来たところで話が始まった。この遠回しな嫌味は「非常識」と聞き換えるべきだろう。
「スーツ姿で心機一転を表現する定年退官者もいるでしょう。森田士長は即応予備自衛官を現代の屯田兵とする新たな決意を示したんです。かなり似合っていたじゃあないですか」1科長が言いたいことは判っているがあえて同意はしない。高圧的な副連隊長の介入は回避したいが、屈服の方が耐え難い自己否定になる。
「しかし、森田士長のような特殊事情で退職する者は目立たないように朝礼後に廊下で紹介するくらいの配慮が必要で、あれでは退職を誇示して他の隊員たちに特殊事情を問題視させているようなものです」陸曹時代は内地の連隊本部で勤務し、部内で幹部になってからは地方連絡部の事務所長も経験したらしい1科長は用いる語彙が通常の自衛官とは違うようだ。
「そうですか。私としては朝礼台に一緒に上がって大声で思いの丈を吐き出させてから送り出したいところでした。勿論、私も一席打(ぶ)ちますよ」これは極めて危険な暴言だが、1科長は着任して以来、北部方面総監の一方的な決定に異を唱えない上級司令部と連隊長や自分に対して公然と批判を繰り返してきた松山3佐なら「この程度は冗談」と理解した。
「尤も4中隊は森田士長で曹侯補士は終わりですから今後は平穏な業務になるはずです。他の中隊の曹侯補士たちも普通免許を取得し次第に退職に同意していますから年内には片づくはずです」早い話が1科長にとって曹侯補士の退職は厄介払いと言うことだ。松山3佐は黙殺する代わりにコーヒーを飲んだが砂糖と乳剤が入っていた。今時、珍しい味だ。
「それにしても4中隊の森田曹侯補士への特別待遇には他の中隊の曹侯補士たちが不満を募らせて関係上司たちはなだめるのに苦労したようです。原因は松山3佐ですから今後はもう少し慎重な対応をお願いしますよ」小言は今日の朝礼だけではなかった。確かに松山3佐は森田士長に大型自動車だけでなく本人の自費で大型特殊や狩猟免許も取得させた。しかし、大型特殊は本部管理中隊の施設作業小隊に学科と実技の事前講習を依頼し、免許試験に休暇を与えただけだ。狩猟免許については広橋照子の実家で学習し、こちらも休暇を決済した以外に何もやっていない。つまり他の中隊も同じことをするのは容易だったはずだ。
「必要であれば部隊長会議の席で反省の弁を述べませんか」松山3佐が珍しく黙って話を聞いていることに1科長が少し強気になった。するとコーヒーを飲み終えた松山3佐は毎度の陰湿な目つきになり、唇を歪ませて笑いながら答えを返した。
「守山時代の中隊長なら『責任を取って腹を切ります。本当は諌死だぞ』と叫んで本当に割腹したでしょうね。僕はあの人のような古く臭い武士の美学には生きていませんが、諌死については考えないことはありません。ただし、命を捨てるところまでは行きませんがね」「それは・・・」想定外の逆襲を受けて1科長は絶句した。「諌死」とは武士が主君の過ちを正すために死を以って諌めることだ。単に訴えるだけでは自分の利益のための功利・打算や主君に存在を認めさせる売名と思われる惧れがある。そのため死と引き換えにして純粋な動機を証明するのだ。
この発言では自死まではいかないが抗議の退職は考えていることになる。1科長も駐屯地業務隊で勤務している松山3佐の妻が出処とされる退職の噂は耳にしている。幹部の依願退職は陸上幕僚長の決済になり、陸上幕僚監部人教育部補任課から事情説明を求められるのは当然だ。仮に本人が確認を受けて「曹侯補士の強制退職」を理由にすれば内部告発どころの騒ぎではない。
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  1. 2019/12/24(火) 12:27:30|
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