FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1794

最後まで腹立たしい2011年の締め括りに12月25日の「坂の上の雲」の最終話を見終えると質疑応答の電話が意外なところから入った。それは正に「敵艦見ユ」の現場海域だ。
「お父さん、坂の上の雲は見てたんでしょう」先ず淳之介は「当たり前田のクラッカー」な確認をした。逆に淳之介が見ていれば感心してやりたいところだが、元々が歴史好きなのだ。
「勿論、見ていたよ。3年越しの長編だったけど今回で終わったな」今回は日本海海戦と日露戦争後の秋山兄弟の人生だった。原作通りとは言え戦後は不要だったように思う。
「だったら質問があるんだけど」「海軍は専門じゃあないぞ。高校生の時にモリヤ家で船乗りは港港に女を囲う好き者の仕事だって禁止されたから海上自衛官にはなれなかったんだ」これは事実だが、高校では海上自衛隊の航空学生と一般海曹侯補学生を受験しており、合格すれば就職家出するつもりだった(どちらも2次試験で落ちたが)。
「ひでェなァ。俺はあかり一筋で港に女なんか囲っていないよ」「それは判ってる。お前が行く港は離島の波止場だけだろう。女は干上がった婆ちゃんだけじゃあないか」淳之介も離島便に乗る観光客の若い女性から逆ナンパされることがあるそうなので、本当は貞操観念を誉めるべきなのだが、少し茶化して落ちにした。
「そこで質問だけど。秋山作戦参謀は本当にバルチック艦隊が対馬海峡と津軽海峡、宗谷海峡のどこから来るかに迷っていたの」「お主は船乗りとしてどう思う」ここで取り敢えず淳之介の見解を確認してみた。私も中学生の時に映画「日本海大海戦」で三船敏郎が演じていた東郷平八郎大将が思い悩む場面を見て以来、興味を持って研究してきたが、それはあくまでも書物で調べた机上の知識に過ぎず、本物の海の男の見解を聞きたかった。
「俺は船乗りだから長い航海を終えて港に入るなら最短距離を通ると思うよ。津軽海峡や宗谷海峡では通り過ぎて戻る形になるじゃない。海路図では始めから検討外だよ。若し、迷うとすれば対馬の北と南のどちらを通るかだね」前回の「坂の上の雲」でも館ひろしが演じる島村速雄前参謀長が「敵が多少でも航海と言うものを知っていれば必ず対馬海峡を通る。それが道理だ」と言っていたが淳之介も同じ意見のようだ。
「ワシは歴史の視点で研究したんだよ。当時は日英同盟を結んでいたからバルチック艦隊がシンガポールで購入した石炭の質が悪くて長期間の航海は不可能になったと言う情報が入っていたはずだ。だから船乗りの感覚とは別に最短距離の対馬海峡を選択するしかなかったんだ」「質が悪い燃料じゃあ出港も止めたいところだね。バルチック艦隊が可哀想になるよ」佳織には悪いが、やはり海戦の話は船乗り相手に限る。
「それにシンガポールや香港のイギリス公館からバルチック艦隊の動向の情報は入っていたはずだ。おまけに陸海軍の諜報員はフィリピンでも活動していたし、台湾は日本領だった。『遅い、遅い』と焦るはずはないな」「台湾海峡は狭いからバルチック艦隊が通れば見逃すはずがないよ」これでは佳織とも話している「坂の上の雲」の史実の誤りの指摘になってしまうが、基本的に司馬遼太郎先生を尊敬している私としては申し訳なる。そこで少し話題を広げた。
「『坂の上の雲』は産経新聞で昭和43年から47年に連載されたんだ。ところがワシは中学生の時にテレビで見た『日本海大海戦』と言う映画でも同じような場面があった。あの映画は昭和44年の製作だから『坂の上の雲』の請け売りとは考えにくい。つまり海軍内の苦労話としてそんな逸話が作られたんじゃあないかな」「少し苦労もしないと大勝利が盛り上がらないからね」淳之介の反応は随分大人になったようで、親父としては感心した。
「ところで秋山真之は戦争で殺した人を供養するため坊主になりたいって言ってたけど、始めから坊主のお父さんはアフリカで殺した人たちのことをどう思っているの」この質問も大人の視点だが、相手の気持ちを思いやる分別はまだ子供だ。
「供養だけは欠かさないね。時々、イスラムのモスクにも通っているよ」「流石だね」折角、「坂の上の雲」で盛り上がっていた父子の会話が少し重くなったので強引に元に戻した。
「映画の『日本海大海戦』ではバルチック艦隊を発見した宮古島の漁師がサバニで石垣島まで知らせる場面があったが、『坂の上の雲』では信濃丸の『敵艦見ユ』だけだったな」「その話は水産高校の時、航海の講師の先生が海ンチュウの誇りだって教えてくれたよ。宮古島港にサバニの碑があるんでしょう。お義母さんがお父さんと見たって言ってた」これは梢と2人で離島巡りをしていた頃のホロ苦い思い出話だ。今年も後段休暇の私は大晦日が土曜日、正月1日は日曜日のため年末年始は官舎で過ごすことになり、1人で食べるおせち料理は沖縄式にオードブルにすることにした。そのことを梢にメールで知らせると「作りに行く」と返信してきたが、冬の観光シーズン中の旅行社も後段休暇のようなものなので真面目な申し出ではない。
スポンサーサイト



  1. 2020/01/13(月) 13:18:13|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1795 | ホーム | ガーセム・ソレイマニ少将の戦死を追悼する。>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5885-19ae1fcc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)