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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1799

「小春、大きくなってェ」今日は両親が揃って名張駅まで迎えに来ていた、前回、会った時の小春は保育園の年長で母親と同様に蕗ヶ丘の住宅地の道路を元気に走り回っていた。
「もう小学生だから大きくなったなんて言わないで」小春は祖父母の感嘆を子供扱いされているように受け止めたのか口を尖らせて抗議した。両親はそんなところにも成長を実感して嬉しそうに顔を見合わせた。夫婦として日常を過ごしている2人も今は祖父母になり切っている。
「昌代ちゃんは東京から帰って来ないの」途中のスーパー・マーケットで食材を買ってから実家に帰ると裕美2曹は長姉の昌代1曹の予定を訊ねた。
「昌代はどうせ独身だからって学生隊とWACの当直を引き受けてるんだって」母は不満そうに答えた。長姉の中村昌代1曹は久居駐屯地の衛生隊に配置されていたが、曹侯学生出身の3曹として指揮能力の練成のため第116教育大隊で勤務し、そこでモリヤニンジン1尉に出会った。その後、衛生隊に戻ったが、衛生隊長の医官が自衛隊中央病院に転属すると三宿駐屯地に同居している陸上自衛隊衛生学校の学生隊の助教として引き抜かれたのだ。
「昌代ちゃんが結婚しないのは相変らずモリヤ2佐一筋なのかな」母と一緒に台所で食材の収納を始めている裕美2曹が唐突に話を変な方向にずらした。すると母の玲子も冷蔵庫の扉を閉めてから同調した。家族とは言え女性にとって切ない恋物語は胸が時めくものらしい。
「久居の頃も奥さんが入校中だけでも一緒に暮らしたいなんて馬鹿なこと言っていたもんね。モリヤさんが裁判を受けている時には作野さんと2人で東京まで面会に行ったんだよ」昌代3曹はモリヤ1尉が北キボールPKOで地元の暴徒を殺害したことを殺人罪で告発された時、収監されていた東京拘置所まで中隊先任陸曹の作野曹長と面会に行ったのだ。あの頃の昌代3曹は留守宅の官舎の清掃や預けられていた自家用車の手入れにも励んでいた。
「多分、モリヤ2佐だったら昌代ちゃんが通ってきても何もせずに優しく見守ってくれたよ」「貴女の千秋さんみたいにね」この母子がモリヤ夫婦が不倫の末の略奪婚だったことを知るはずがない。夫の松山千秋2尉が裕美士長の純潔を尊重して手を出さなかったことをそのまま当てはめて恋物語の山場を越えさせた。実はこれは裕美2曹のお惚気でもある。
「そう言えばモリヤ2佐の奥さんは四国に転属して単身赴任中よ。昌代ちゃん、今度こそ押し掛け女房するつもりじゃあないでしょうね」この場面転換では清く正しく美しく純粋無垢だった裕美2曹も30歳代を過ぎると流石に小母さん化していることが判る。
「昌代の想いをモリヤさんが受け入れてくれるならそれでも好いよ。10年越しの想いを奥さんも許してくれるでしょう」結局、玲子が娘主演の美しくも切ない恋物語にして幕を引いたが、昌代1曹がモリヤ2佐一筋と決まっている訳ではない。実際は独身の身軽さと温かい懐で東京の休暇を存分に満喫している可能性もある。
「小春は小学生ならお母さんの晴れ着が着られるんじゃあないかしら」母娘で手分けして荷物を揃え終わると居間で映画のDVDを見ている小春に玲子が声をかけた。
「晴れ着って何」「着物、和服のことよ」小春の質問には裕美2曹が答えた。晴れ着と言うのは日常を「ケ」、特別な時を「ハレ」とする神道の観念の中で特別な時に着る正装を言う。
「着物かァ。よく取ってあったわね」「大切にすれば何年でも着られるところが和服の好いところなの」裕美2曹が感心すると玲子は自慢気に補足説明して立ち上がった。確かに晴れ着は正月と親族の結婚式、七五三くらいにしか着ないので三人姉妹の使い回しでも大丈夫だろう。すると居間の炬燵で茶を飲みながら雑談していた中村正敏曹長が婿の千秋3佐に提案した。
「折角、小春が晴れ着を着るなら、いっそのこと初詣はお伊勢さんにまで足を伸ばそうか」名張市から神宮がある伊勢市までは約85キロなので伊勢自動車道を使えば1時間半くらいだ。しかし、大混雑は予想される。案の定、千秋3佐は首を振った。
「僕は皇室が嫌いなので伊勢は遠慮します」「松山3佐が皇室嫌いとは意外だな」思いがけない理由に正敏曹長が興味深げに顔を見ると千秋3佐は冷めてしまったお茶を飲んでから答えた。
「僕の先祖は京都所司代の役人として孝明天皇の意志に背いて倒幕に暗躍する賊徒と戦っていました。ところが鳥羽伏見で破れてからは賊徒の汚名を着せられ、明治以降も差別を受け続けました」「それは会津も同じだ。むしろ代表格だろう」正敏曹長の相槌に千秋3佐もうなずいた。会津に対する徹底的な弾圧に比べれば桑名は苛めに近いのかも知れない。
「尊皇に身命を賭して戦った忠臣を賊徒に堕としたのは明治天皇です。天皇が戊辰戦争の過ちを認め、明治以降の誤った歴史観を正すまで僕は伊勢や明治の神社には参りません」東北では中央政府への忠誠心を示すため殊更に尊皇を叫ぶ傾向があるが、桑名人である婿の内に秘めた怨嗟の感情を知って正敏曹長も急に喉が渇き、お茶を飲み干した。
  1. 2020/01/18(土) 13:12:36|
  2. 夜の連続小説8
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