FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月21日・日本共産党の前科・白鳥事件が発生した。

サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立する3ヶ月前の昭和27(1952)年1月21日の午後7時30分頃にロシア革命と同様に武力蜂起を党の方針として公言していた日本共産党札幌支部を監視し、取り締まっていた札幌市警察本部警備課長の白鳥一雄警部が自転車で帰宅中に後方から追い抜いてきた自転車の男に拳銃で射殺された事件が発生し、日本共産党札幌委員会の委員長と共犯者2名が逮捕されました。
白鳥警部は大正5(1916)年に北海道の内陸部でも十勝連峰の麓である芽室町で生まれ、旧制・帯広中学校を卒業後、昭和12(1937)年に北海道庁警察の巡査になり、戦時中は陸軍特務機関のハルビン学院でロシア語を学んで特別高等警察外事課で勤務しました。敗戦後はシベリア抑留を経験してソ連の実態と世界共産革命の脅威を痛感し、復員すると自治体警察であった北海道警察に復職を果たしましたが、その抜群の能力を知った占領軍防諜機関(CIC)や日本政府の国家警察(占領軍がアメリカのFBIをイメージして創設した)とも密接に連携しながら辣腕を揮っていたようです。一方、日本共産党は51年綱領で武装闘争方針を採択したことを受けて全国各地で警察官を襲撃する事件が頻発させており、これに同調して札幌委員会でも北海道大学の学生を士官要員、労働者を兵士とする秘密の軍事組織を編成していました。この軍事組織の名称は中核自衛隊で、今の自衛隊はまだ昭和27(1952)年10月15日に保安隊になるまで警察予備隊でした。
白鳥警部はこの動きを正確に把握していて、当時は革命を標榜する労働組合の弾圧に利用していた任侠社会にも協力させて苛烈な取り締まりを進めており、札幌委員会が市内の丸井百貨店で開催していた丸木位里と赤松俊子の「原爆の図」展を占領軍の命令として中止させ、抗議のビラ撒きやデモ行進、座り込みを行った党員を多数検挙しています。このため道内の日本共産党員たちからは徹底的に憎悪されて年明けには「昨年は貴様のおかげで俺たちの仲間が監獄につながれた。この恨みはきっとはらす。俺たちは極めて組織的に貴様をバラしてやる」と言う脅迫状が大量に届いていました。このため警察は日本共産党の犯行と断定して札幌委員長を主犯としてブローニング32口径の自動拳銃(小型で軽量だったため日本陸軍将校でも愛用者が多く、昭和33年に銃刀法が制定されるまで市民が秘蔵していることも珍しくなかった)の射撃に長けた人間を特定して逮捕したのです。
裁判では共産党員系の弁護士が総動員されただけでなく大手新聞が赤旗と同一の記事を掲載して全面協力し、証拠捏造の疑惑や証言の矛盾点を大々的に喧伝したため再審請求では110万人もの署名を集めましたが、主犯の委員長が弁護士を通じて証拠隠滅のため札幌委員会の主要な党員を国外逃亡させるように指示した文書が押収され、実際に多くが共産党中国に亡命していたため疑惑が深まり、共犯者2名が犯行を認めたこともあって昭和50(1975)年5月20日に有罪判決が確定しました。
この裁判で批判的世論に屈した最高裁判所が「再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』と言う刑事裁判の鉄則が適用される」と言う「白鳥決定」を下したため、有罪が確定していた判決が疑わしいだけで覆る異常な事態が生起してしまったのです。
スポンサーサイト



  1. 2020/01/20(月) 12:07:48|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1802 | ホーム | 振り向けばイエスタディ1801>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5900-9fab5983
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)