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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1807

名寄の第3普通科連隊では2佐に昇任しながら依願退職する松山2佐が中隊長として最後となる冬季演習を終えて廠舎で酒を飲んでいた。隊員たちの間では2佐に昇任した中隊長の依願退職と言う異常事態に水面下では波浪が逆巻いていた。
「中隊長の退職理由が政治家への転身と言うのは本当ですか」退職してしまえば後の影響力が失われるので部下たちも遠慮がなく興味本位な質問を単刀直入に投げかけてくる。長い廠舎の奥から階級と役職順に並んでいる寝床で飲んでいても珍しく先任陸曹に質問された。
「政治家かね。あれは3バンと言って選挙区の地盤、知名度の看板、資金の鞄(カバン)がなければなれない職業なんだ。大学の同期も政治家の息子以外は秘書になって3バンを譲ってもらえる相手を探していたから今更無理だな」この説明は政権交代前にテレビなどが自民党の世襲議員を批判する時、繰り返し説明していたので報道バラエティー番組を見る者なら誰でも判っている。先任陸曹は答えをはぐらかされたと思ったのかムキになって応射してきた。
「それでも市町村の議員なら可能じゃあないですか。過疎で高齢化が進んだ自治体は議員の成り手がなくて立候補者を募集しているって話も聞きますよ。中隊長が応募すれば村長でもOKでしょう」「僕にそんな人望があるかね」議論の応射を止めるには答えに詰まらせるに限る。いくら遠慮を忘れても「貴方には人望がない」と言えないのは当然だ。先任陸曹は不満そうな顔で中隊長や小隊長とは1人分の間隔を開けている自分の寝袋の位置に戻っていった。
「しかし、我々も政治家への転身と言う理由で納得しているんですが、本当に違うんですか」先任陸曹が抜けると副中隊長である1小隊長が松山2佐の水筒のアルミ製のカップに紙製パックの焼酎を注ぎながら話を引き継いだ。その隣りで2小隊長も顔を向けている。見回すと土間を挟んで向かい側の曹長である3、4小隊長も同様だ。
「君たちは僕の学歴を過大評価しているんじゃあないか。確かに僕の政治経済学部は政治家を大量生産しているし、そのための勉強をしてきた。だけど出身者全員が政治家になる訳じゃあないんだ」「我々高卒の者には想像もできないんですが、W稲田大学の政治学部を卒業した人たちはどんな仕事に就くんですか」今度は2小隊長がボトルの洋酒を注いで質問した。これでは悪酔いの原因・チャンポンになってしまうが仕方ない。
「政治家の秘書、官僚が目立つが会社や大型店に就職して数年で創業する奴も多かったな。バブルが弾けて間もなかったからね」「それじゃあ幹部自衛官も官僚になるような気分で決めたんですか」どうやら松山3佐が着任して以来、小隊長から陸曹・陸士までW稲田大学政治経済学部出身と言う他に会ったことがない経歴の持ち主に好奇心を駆り立てていたようだ。
「僕の卒論は軍政の研究だったんだ。その研究を実地に検証したかったのかもね」「やっぱり高卒では判りませんね」松山2佐としては判り易く説明したつもりだったが、大学生活の後半を費やして研究と思索に取り組んで卒論を書いたことがない部内出身の幹部や曹長の小隊長たちには理解ができなかった。
「中隊長、よろしいですか」小隊長との会話が途切れたところに安川3曹が洋酒のボトルを持ってきた。安川3曹は森田曹侯補士の退職に際して松山2佐が助力を惜しまなかったことに信頼と敬意を抱いており、階級の序列が厳格な送別会では言えない礼を述べるつもりらしい。
「うん、安川3曹の奥さんには娘が大変お世話になったな」すると洋酒を注がれながら松山2佐の方が意外な礼を口にして、安川3曹は素直にうなずいた。
「妻も小学校に入ったばかりの娘さんに英語を教えてくれって言われた時には初心者なのかと思ったようですが、とても堪能なのに驚いていました」「青森では女房と一緒に三沢基地に通って習わしていたんだよ」松山2佐は名寄に着任すると英語教師の娘で抜群の語学力でホテルのレストランに採用された安川3曹の妻・聡美に娘の小春の英語の指導を頼んでいた。
「しかし、学校で国語を習う前に英語を学ばせると日本語が変になるって言いませんか」今度は3小隊長が口を挟んだ。これは文部科学省が小学校での英語教育の導入を検討している時にマスコミが紹介していた賛否両論でも反対派の意見だ。
「言語と言うのは知識じゃあなくある種の本能のようなもので、学習するよりも慣熟させるんだ。正しい言葉を話す人間が傍にいれば子供は自然に自分で修正するものだ」松山2佐の反論に4人の小隊長は顔を見合わせて首を傾げた。やはり思考の次元が違う。考えてみれば宮古市の災害派遣現場で松山2佐は取材に来た外国人記者たちと英語以外の外国語で会話していた。
「妻も娘さんの発音はネイティブだって感心していました」「そこが三沢で覚えた英語なんだよ」小隊長たちはこの中隊長を敬遠して真剣に向き合ってこなかった自分の浅はかさを思い知った。いくら水を注いでも器が伏せてあれば流れ落ちるだけで何の役にも立たない。
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  1. 2020/01/26(日) 14:25:08|
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