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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月4日・赤化教員の大規模摘発=2・4事件が始まった。

昭和8(1933)年の明日2月4日に長野県で共産主義に染まった教職員の一斉摘発=2.4事件が起こり、これを端緒として半年間にわたり全国に波及しました。
敗戦後、占領軍は戦前の日本をナチス・ドイツと同様の軍国主義による思想弾圧に明け暮れた暗黒社会であったかのように歴史を歪曲して学校教育で国民に流布したため、それを教える教員としては戦前は弾圧されていた共産主義思想を正当化するお墨付きを獲得したようなもので、郷土史を研究・評価・展示する各自治体の教育委員会も軍人は一律に抹殺し、ソ連の工作員として日本での革命=武装蜂起を目的に活動していた共産主義者やその従僕だった労働組合員などを賛美する歴史を編纂してきました。そのためこの事件も眉がすり減るまで唾をつけなければならないほど虚偽と変造の歴史が語られています。
事件は大正デモクラシーの時代に白樺派の自由主義文学運動の影響を受けていた長野県内の教職員たちが昭和初期=1930年代に東京、京都、大阪を中心に発生した共産主義運動に組み込まれ、東北ほどではないにしても冷害の影響で深刻な不作に陥っていた農民を救済するための共産革命を画策して児童・生徒に洗脳教育を行うようになったのです。運動に参加していた教師たちは授業で昔話のさるかに合戦を教えるにも階級闘争の原理を持ち込んでいたそうです。
しかし、大半の教職員はこのような純粋な動機で赤化されていったのかも知れませんが、スターリンのインターナショナル戦略ではマスコミや教育者、医師などのインテリ層を取り込んで無知な庶民階層を洗脳することを基本戦術としており、指導的立場にあった教職員はその一環として日本の共産化を策謀していたのです。
長野県では1931年の秋に新興教育研究所の支部が伊奈と諏訪に開設され、1932年2月に秘密結社だった全国労働組合協議会の傘下組織の日本一般使用人組合教育労働部長野支部も結成されたことを受けて長野支部に統合して一本化されています。
1931年に満州事変が勃発すると表向きは戦争に反対、本音ではソ連への軍事的脅威の増大を阻止する運動を開始したため、大正14(1925)年に制定され、昭和3(1928)年に緊急勅令として強化されていた治安維持法で取り締まりを受けることになりました。長野県下でも1932年夏に内務省と長野地検が全国労働組合協議会長野支部の存在を確認し、1933年1月に全国労働組合協議会繊維オルグの検挙によって組織全体を把握するとこの日に長野県内の日本共産党、日本共産青年同盟、日本プロレタリア文化連盟、労働組合、農民組合などの一斉摘発に踏み切り86名を検挙し、最終的には608名が検挙されましたが、そのうち203名が教員でした。その後、摘発は青森県、岩手県、福島県、群馬県、茨城県、兵庫県、香川県、福岡県、熊本県、沖縄県に波及しています。
長野県の誰かが全国に発信している歴史では疑わしい教職員だけでなく親しくしていた用務員までが解雇され、軍国主義に賛同する教職員が配属されたため長野県は満蒙開拓団に最多の参加者を出し、敗戦後の悲劇を味わうことになったと言っていますが、その悲劇は日ソ不可侵条約を違法に破棄して侵攻したソ連が元凶であることには触れていません。
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  1. 2020/02/03(月) 13:53:46|
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