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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月11日・「一粒300メートル」・グリコが発売された。

大正11(1922)年の明日2月11日に大阪の三越百貨店で江崎商店の洋風飴菓子・グリコが発売されました(今回のネタ元はお盆の檀家回りで伺った兵庫県芦屋市の江崎グリコの重役の奥さまとお嬢さまです)。
この時期、東京でも森永製菓や明治乳業(社名は明治でも創業は大正時代)がキャラメルを発売していますが、本来はプリンなどの上にかかっている砂糖を煮詰めた液のカラメルをバターやクリームで固形化した飴菓子です。グリコはこのキャラメルに創業者の江崎利一さんの発案で牡蠣の煮汁から抽出したグリコーゲンを加えて健康食品に改良し(むしろ地元・佐賀産の牡蠣の販売促進手段として菓子を考案した)、さらに15.4キロ・カロリーの熱量から「一粒300メートル」のキャッチ・フレーズで売り出したため爆発的に売れました。それだけでなく江崎さんの「子供の2大楽しみ、食べることと遊ぶことを同時に満たす」と言う経営指導で小型の玩具を着けたことで(江崎グリコとしては「おまけ」ではなく菓子と同格の商品としている)子供からの支持は不動のものになりました。ただし、野僧の父親は「おまけなんかで子供の気を引くのは味に自信がないからだ」と決めつけて仕事帰りの妹への土産には森永や明治のキャラメルにしていましたが、玩具が欲しい本人は買い物で母親にねだってグリコを買ってもらっていました。野僧としては味の優劣ではなく舌の希望として森永の甘酸っぱいヨーグルト・キャラメルが好きです。
グリコは健康食品として売り出したため箱には「一粒300メートル」を象徴するランナーがゴールする姿が印刷されていますが、これには時代によって変遷があったそうです。
そもそもランナーを採用したのは江崎さんが図案を考えていて息詰まり、気晴らしに散歩して立ち寄った神社の広場で子供たちが駆けっこをしていて、勝った子供が学校で習ったらしいゴール・ポーズを決めたのを見たからだそうです。
ところが絵は素人の江崎さんが描いたランナーは体形が貧弱で顔も競技者らしく厳しかったため購買者である女性や子供には不評で5年で変更を余儀なくされました。ちなみに当初は胸の片仮名の「グリコ」の上に横文字が入っていましたが、グリコーゲンの正しい表記「GLYCOGEN」から「GLYCO」だったそうです。続く昭和3(1928)年からの2代目は「暁の超特急」吉岡隆徳さんなど当時の一流短距離選手4名をモデルにして筋肉質になりましたが表情は厳しく、敗戦後の昭和20(1945)年から現在のような笑顔になり、横文字表記は「GURIKO」に変更されました。さらに日本が独立を果たした翌年の昭和28(1953)年からは横文字表記がなくなり、昭和41(1966)年から現在の箱と大阪の道頓堀や東京の有楽町のネオンサインのデザインになりました。横文字が現在の筆記体表記で「Glico」になった1992年からだそうです。
一粒の形も当初はハート形でしたが加工が困難なため量産には向かず、昭和28(1953)年から昭和62(1987)年=野僧が食べていた時期は角型になりましたが、現在はハート形に戻っているそうです。残念ながら食べたことがありません。「グ・リ・コ(CM風に)」
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  1. 2020/02/10(月) 12:40:57|
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