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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月17日・陸上自衛隊に鉄道部隊が創設された。

昭和35(1960)年の明日2月17日に陸上自衛隊の鉄道部隊=第101建設隊が立川駐屯地で創設されました。
この部隊の正式な任務=設立の目的は建設隊=施設部隊だけに災害で被害を受けた鉄道の復旧が主で二次的に隊員が機関車を運転して部隊の移動も実施することになっていましたが、実際は有事の避難民の輸送と日本共産党(初期)や革マル派(後期から現在)などの実力組織としてストライキを共産革命の発火点と位置づけていた国鉄労働組合による大規模・長期ストライキが発生した時に都市部への食糧の運搬などが期待されていたのです。
帝国陸軍の鉄道部隊は日清戦争で獲得した大陸の占領地に物資を大量に運搬する必要が生じ、東京から九州までの鉄道網を整備するために近衛師団の交通兵旅団として創設されました。このために任務は被害復旧よりも一段上の線路の敷設を含む鉄道建設も含まれていて、東海道線・山陽線と博多までの複線化や朝鮮半島を縦断する鉄道線の建設を担当し、戦時には列車の運行にも従事したのです。ただし、ドイツ軍やイギリス軍、フランス軍のような車両での運搬が不可能な大口径の列車砲は採用されず、あくまでも国鉄と同様の業務を実施していたようです。
陸上自衛隊の鉄道部隊は部隊創設の2年前の昭和33(1958)年に基幹要員の採用と育成が始まり、国鉄から9600型機関車を購入し、帝国陸軍の第2鉄道連隊が使用していた習志野の演習線で訓練を始めました。訓練内容は機関車や車両の運転や整備だけでなく線路の建設と維持保線(レールの幅はミリ単位の誤差でも脱線の原因になる)、測量と杭朽や架橋、ポイントと信号機の操作、さらにプラットホームの建設まで多岐にわたり、島松や霞ケ浦、古河、桂などの補給処の引き込み線で実技として設備やプラットホームを設置・運用しています。また部隊解散後も経験者が災害派遣に出動して破壊された鉄道網や駅の迅速な復旧により被災者の生活確保に貢献しました。
ところが国鉄労働組合が国民を人質にするかのように頻発させた大規模・長期のストライキは道路網の整備も相まって流通の主力を鉄道からトラックに移行させ、鉄道部隊の存在理由は急速に低下しました。中でも鉄道部隊の首脳陣が災害や戦時に架線が切断されれば運行できなくなる電車や有事の原油の輸入停止が危惧されるディーセル機関車を嫌って9600式機関車に執着したことが経費の無駄として会計検査で指摘されて部隊の存在に疑問符が点き、昭和41(1966)年4月1日で鉄道部隊は解散になってしまいました。
野僧は車力・第22高射隊の管理小隊長=輸送担当者として勤務している時、天候や道路事情に左右され、長距離移動による隊員への負荷が大きい車両による移動への疑問からJR九州の友人(管理職なので国労を敵視していた)と共同研究した地対空ミサイルと誘導装置や宿泊・調理設備(寝台列車と食堂車の転用)までを鉄道に搭載する高射ミサイル版列車砲の実用化を業務計画要望で公式に提案したことがあります。しかし、高射隊長は「恥にならねば好いが」と言いながら渋々印鑑を押したものの第6高射群本部はろくに検討もせずに却下したため露と消えてしまいました。
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  1. 2020/02/16(日) 13:39:42|
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