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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1829

学生の夏休みだけでなく企業や公務員の夏季休暇である8月中旬になり、バブルの時代ほどではないにしても梢の帰宅は遅かった。それでも那覇駐屯地で平日の消灯ラッパが鳴った頃には夜勤者に任せて帰宅することができた。
「淳之介からメールかァ・・・」更衣室で私服に着替え、携帯電話を確認すると石垣島の淳之介からメールが入っていた。着信時間は8時過ぎなので昼にメールで知らせたA日新聞の記事に関する返答かも知れない。淳之介も夏の観光シーズンで早朝から出勤して1日中離島便を操舵しているから、この時間帯でも電話は控えた方が良さそうだ。
「父はオランダに転属になるかも知れません。理由は言いませんでした。海外単身赴任になるそうです」文面を確認して梢は唖然としてしまった。この話が今回の件が理由なのかは判らないが偶然にしても極端だ。考えてみればモリヤ夫婦は妻の佳織がアメリカに留学している間に夫のモリヤはアフリカのPKOに派遣され、そこでの戦闘が原因で刑事被告人になった。ようやく無罪になって同居生活を始めると今度は佳織がハワイに赴任した。モリヤがオランダと言う遠距離の外国に転属になっても佳織が帯同しないのは2人の「慣れ」なのだろう。しかし、梢には今も赤く強いケーブルで接続されているモリヤの真情が胸に響いてきた。
「この年になってヨーロッパへの単身赴任は辛い」同じ年齢のモリヤだが、かつて熱く静かに愛し合い、今も深く優しく愛し続けている梢の目から見て哀しいくらいの苦労人だ。本人にその自覚がないだけに放置はできない。それでも梢は携帯電話をセカンド・バッグにしまい、唇を噛み締めながら職場を後にした。
日付が変わるまで1時間を切った頃に首里のマンションの自宅に帰るとあかりと恵祥が暮らしている佛間から話し声が聞こえてきた。
「恵祥が寝ないの」玄関から居間を抜けて佛間の襖を開けると梢は小声で話しかけた。5月11日で1歳になった恵祥はかなり達者に歩き回るようになり、よく動く分食欲も旺盛で離乳食で腹一杯になればそのまま朝まで熟睡する。視覚障害者のあかりは逆に転倒しないように這って追いかけるためこちらも疲れて熟睡している。それが今夜は目覚めているので心配になった。
「恵昇伯父さんがお母さんに言いたいことがあるんだって」佛間はあかりには必要がないので電灯は点けてない。梢が点けると恵祥は可愛い寝顔で熟睡しているが、あかりは祖母の箪笥の上の位牌檀に向かって両手を合わせていた。
「ニイニが・・・」あかりは死者の魂魄や自然界の精霊と会話することができる。それでも恵祥を産んでからは坊主でもある淳之介の父・モリヤの指導で霊界との接触は控えるようにしていた。それを察して梢の亡き兄の恵昇も命日と清明節の法要以外は声を掛けないようになっている。それが今夜に限って特別な話があるようだ。
「モリヤさんがオランダに転勤する話は聞いてるな」「はい」あかりはノロやイタコの口寄せのように男の口調で語り始め、梢は前に正座した。
「佳織さんは自分の仕事があるからついて行くつもりはないようだ」「はい」モリヤは佳織にはオランダへの移動調整の話はしていないが、恵昇は魂魄として内面まで観察することができるらしい。今の佳織は自分の職務を優先することを当然視しているのだ。
「だったらお前が仕事を辞めてついていけ。本当はお前もそうしたんだろう」「でも・・・」「僕には嘘はつけないぞ」梢のためらいにあかりは恵昇に代わって苦笑した。あかりは恵昇に似た顔立ちだが、これでは本人と話しているような気がしてくる。
「お前がなりたくてなれなかった押し掛け女房に今度こそなってみろ」「押し掛け女房に」淳之介を産んだ美恵子は意外に意志表示をしないモリヤを指図して結婚にまで追い込んだと聞いている。佳織もまた妻子あるモリヤと不倫関係になり奪い取った。そこが親に交際を反対されて深刻に悩み苦しむモリヤを見て自分から身を引いた梢とは逆なのだ。
「私を理由にして自分を殺すのは止めて」突然、あかりが普段の口調に戻って梢が胸に過(よ)ぎらせた気持ちを否定すると意識を失ってその場に倒れた。確かにその時、梢は母としてあかりと恵祥の生育を見守る責任を考えた。魂魄を身体に憑依させる口寄せは体力と言うよりも精神力を消耗するらしく熟練したユタやイタコであれば安全な距離感を保てるが、未熟な若手では脱魂と同時に失神することも珍しくない。恵昇は伯父としてその点は配慮しているのだが、今回はあかりが自分の意識を割り込ませたことで大きな衝撃を受けたようだ。
「私、馬鹿なお母さんになっても好いのかな」梢は脱力したように倒れているあかりをそれでも目を覚まさない恵祥の隣りに運ぶとよく似た母子の寝顔を眺めながら独り言を呟いた。誰も見ていないが、その顔は30年前の梢だった。
う・純名里沙イメージ画像
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  1. 2020/02/18(火) 12:21:07|
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