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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月26日・2.26事件で警護の警察官5名が殉職した。

昭和11(1936)年の明日2月26日に発生した2.26事件で首相官邸の内閣総理大臣・岡田啓介海軍大将を警護していた村上嘉茂衛門巡査部長、土井清松巡査、清水与四郎巡査、小館喜代松巡査の4名と前内務大臣・牧野伸顕伯爵が逗留していた湯河原の伊藤屋旅館の別館で皆川義孝巡査が反乱部隊によって殺害され、殉職しました。
首相官邸は歩兵第1連隊の栗原安秀中尉を指揮官兼第1小隊長として同連隊の池田俊彦少尉が第2小隊、林八郎少尉が第3小隊、君島健次郎曹長が機関銃小隊を率いて約300名が襲撃しました。反乱部隊は先ず正門で立哨勤務中の警察官2名を拘束・武装解除し、急を察して駆けつけた動哨要員6名も武装解除して官邸内に踏み込んだのです。その頃、裏門に立哨していた小舘巡査が警視庁特別警護隊に緊急事態を知らせる警報ボタンを押しますが、そのベル音を聞いて反乱部隊が殺到したため拳銃で応戦しながらも全身に銃弾を浴びて倒れ、翌朝になって搬送された警察病院で「天皇陛下、万歳」と絶叫して死亡しました。官邸内では異変に気がついた土井巡査が岡田首相と首相秘書官で妹婿の松尾伝蔵予備役陸軍大佐を避難させ、村上巡査部長が廊下で待ち構えていたところに反乱部隊が乱入して銃撃戦になり、全身に銃創を受けながらも行く手を遮り、突進してくる兵士に中庭に突き落とされて殉職しました。さらに裏門から裏庭に回った清水巡査は逃亡を図って出てきた岡田首相と松尾大佐を制止し、その場で警戒に当たりましたが、そこにも反乱部隊が乱入したため殉職しました。そして岡田首相を女中部屋の押し入れに隠した土井巡査は可能な限り離れた位置で発砲して存在を偽装したものの弾丸が尽きたため通りがかった林少尉に組みつき、そこを兵士に銃剣で刺突されて殉職しました。
一方、牧野伯爵が宿泊していた湯河原の伊藤屋旅館の別館は所沢の陸軍航空士官学校の河野寿大尉か指揮する8名の別動隊が襲撃しましたが、突入前に玄関で機関銃を乱射したため事態を察した皆川巡査は先ず牧野伯爵と女性を裏口から逃がし、自分は物陰から廊下を歩いてくる河野大尉を銃撃して負傷させたのです。しかし、皆川巡査自身も銃創を負っており、同じく負傷していた看護師が応急措置して連れ出そうとしたものの動かせず、反乱部隊の放火による火災が迫ると看護師だけを逃がして自分は焼死により殉職しました。
高橋大蔵大臣の私邸は歩兵第3連隊の中橋基明中尉と中島莞爾中尉が指揮する約100名が襲い、警護の玉置英夫巡査は拳銃とサーベル、素手で奮戦しましたが、私邸を包囲されていては脱出させられず高橋大蔵大臣は射殺され、玉置巡査も重傷を負いました。鈴木貫太郎大将の侍従長公邸は歩兵第3連隊の安藤輝三大尉が指揮する約150名が襲撃し、警護の警察官2名が負傷しましたが重傷ではなかったようです。
一方、陸軍教育総監・渡辺錠太郎大将の私邸には警護の憲兵伍長と憲兵上等兵が配置されていましたが2階の控室から出てくることなく無抵抗で反乱部隊を引き入れており、そもそも歩兵第3連隊の安田優少尉と高橋太郎少尉は内大臣・斉藤實海軍大将を殺害した1時間後に30名を率いて襲撃したにも関わらず事件の急報が入っておらず、陸軍内の思想的同調者による謀殺との疑惑が持たれています。
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  1. 2020/02/25(火) 13:18:40|
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