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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

エジプト空軍元帥=ムバーラク大統領の逝去を追悼する。

2月25日にエジプトで30年にわたる長期政権を維持し、中東和平に多大な貢献を果たしたムハンマド・ハスニー・ムバーラク大統領が逝去したそうです。91歳でした。
ムバーラク大統領は1928年にナイル川が地中海に注ぐエジプト北部のデルタ地帯内のミヌ―フィーヤ県法務局で働く小規模な地主の息子として生まれました。1948年に欧米が強引にエルサレム付近に住むパレスチナ人を排除してユダヤ人の国家・イスラエルを建国したことに端を発する第1次中東戦争が勃発するとアラブ民族には近代戦を遂行する能力がないことが明らかになり、人材育成が急務なったことで中産階級にまで身分の枠を大幅に緩和して士官学校の学生を募集したためムバーラク少年は空軍を志願したのです(初代・ガマール・ガマドゥル・ナセール大統領や2代・アンワル・アッ=サーダード大統領は第2次世界大戦前の採用)。
1949年に士官学校を優等な成績で卒業するとパイロットになり、シナイ半島の基地や士官学校の教官として勤務しますが、1956年の第2次中東戦争後は1959年にツボレフTU-16爆撃機の飛行隊長になってから1961年までソ連で各種の軍用機の操縦訓練を受け、帰国後は飛行旅団長(=航空自衛隊の航空団司令)に就任しました。
1962年にサウジアラビアの支援を受ける旧王党派とソ連・エジプトの共和派による北イエメン内戦が始まると派遣されて参戦しますが、その途中の1964年から1965年までソ連のフルンゼ軍事大学に留学して上級士官としての教育を受けました。
しかし、1967年の第3次中東戦争ではアラブ側のソ連製の軍用機はイスラエルが供与されていたアメリカの軍用機に完膚なきまで叩きのめされ、エジプト空軍も壊滅状態に陥ったのです。これを受けてムバーラク将軍は空軍大学校長に任命されてパイロットの増員と教育期間の半減と言う課題に取り組むことになり、その成果をナセール大統領に認められたことで1969年に空軍大将に昇任して空軍参謀長に任命され、アッ=サーダート政権に移行した1972年には空軍司令官兼国防次官に就任しました。
そして1973年の第4次中東戦争ではイスラエルへの奇襲に成功して緒戦を制する軍功を上げたことで国民的英雄となり、空軍元帥になって1975年からは副大統領に任命されました。そんな1981年10月6日にアッ=サーダート大統領が暗殺されたことで憲法の規定に従って10月14日に大統領に就任して以降、2011年2月11日に辞任するまで30年弱の長期政権を維持しただけでなく、アッ=サーダート政権のイスラエルとの協調路線の継承とそれと引き換えに悪化していたアラブ圏との関係修復と言う両面の外交成果を上げ、中東和平に多大の貢献を果たしたのですが、東西冷戦の終結によって利用価値がなくなると長期政権を独裁と断定する欧米によって危険視されるようになり、その扇動で発生した反乱によって辞任すると暴動の鎮圧で死者が発生したことを殺人罪に問われ、危なくイラクのサッダム・フセイン大統領と同じ死に方をするところでした。しかし、エジプトの司法は冷静かつ合法的に審理を進め、殺人については2017年3月2日に無罪判決を下しています(公金横領は有罪)。敬意を込めて冥福を祈ります「アッラー」。
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  1. 2020/02/27(木) 12:40:23|
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