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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月1日・ビキニ環礁での水爆実験で日本の遠洋漁船が被爆した。

昭和29(1954)年の明日3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカの水素爆弾実験・キャッスル作戦(=全6回の初回)によって近海で操業していた多くの日本の遠洋漁船が放射能の灰を浴び、第5福竜丸の無線長が半年後に亡くなりました。
アメリカは1952年にエニウェトク環礁で行ったアイビー作戦で水素爆弾の爆発には成功したものの超低温で液化した重水素と三重水素を使用する湿式水爆だったため本体が過重になって航空機には搭載できず実戦の役には立ちませんでした。ところが1953年にソ連が実際は原子爆弾の威力を強化しただけの新型核爆弾の実験を「小型化に成功した水素爆弾」と発表したためアメリカは焦り、十分な基礎研究を放棄して無理に小型化した乾式水素爆弾の爆発実験がキャッスル作戦だったのです。このため爆発力の推定を誤り、危険海域も実際に影響を受けた範囲よりもかなり狭く設定しており、数百隻の日本の遠洋漁船と2万人以上の乗員が被曝することになりました。
この日、第5福竜丸ほかの遠洋漁船はアメリカが広報した危険海域よりも外のマーシャル群島近海で操業していましたが、閃光を目撃した後、上空を黒煙が覆い始めたため危険を察知して退避しようとしたのですが下ろしていた漁網の巻き取りに手間取り、4から5時間にわたって降灰を浴び続けることになりました。
第5福竜丸は3月14日に母港である静岡県の焼津漁港に戻りましたが、その間に船体や人体の洗浄を行わず付着した放射能を浴び続けていたため、乗員23名は上陸時には放射線性の火傷や頭痛、嘔吐、目の痛み、歯茎からの出血、脱毛などの急性放射線障害の症状を呈していました。当然の処置として静岡大学病院に入院して検査と経過観察を受けることになりましたが皮膚に受けた傷害は癌化することなく数カ月で治癒し、ヒロシマや長崎の原爆被曝者に見られる造血器の障害(白血病など)も8週目から快復に向かい8年で正常に戻りました。生殖機能は数カ月で消失しましたが数年で回復しています。染色体異常だけは現在も確認されていますが健康に影響を与えるほど深刻なものではないようです。
そんな中で無線長だけは容態が重篤化して9月23日に亡くなったのですが死因はC型肝炎で、日本の医師は「放射能症」を原因としましたが他の被曝者が肝炎を発症した実例はなく第5福竜丸の乗組員だけが発症したのは入院中に輸血された売血がC型肝炎ウィルスに汚染されていた可能性の方が高いようです。
ところがこの死をアメリカの占領下には形(なり)を潜めていた反米親ソ親中団体が利用して「アメリカによるヒロシマ、長崎に続く3度目の核兵器による日本人殺害」として反核平和運動を表看板にした反アメリカの政治闘争を大々的に開始したのです。この年に公開された怪獣映画・ゴジラもビキニ環礁での水爆実験で古代の生物が奇形・復活したと言う設定でした。中でも1967年に当選した美濃部亮吉都知事は文部省が買い上げ、東京水産大学校の練習船になっていた第5福竜丸が老朽化によって破棄されるとこれを展示する展示館を建設し、ヒロシマの原爆ドーム、長崎の平和祈念像と並ぶ反核兵器運動の拠点にしようとしました。今もその活動を継承している市民団体があります。
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  1. 2020/02/29(土) 13:35:54|
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