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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1842

借家は家具付きなので衣類や蔵書、雑貨を段ボールに詰めて発送すれば引っ越しは終わるのだが、内示が遅れたため経費が高騰した。船便と航空便では同じ重量の小荷物を送るのに約1.5倍の料金がかかる。しかし、船便では届くまで最長2か月かかる可能性もあり、冬服と仕事に使わない書籍類くらいしか利用できない。さらにオランダと日本では家電のコンセントの形や周波数が違うため変換可能な製品でなければ現地で使用できない。佳織がハワイから持ち返った物なら共用だが、愛用者が東西の周波数の境界線・富士川の向こうへ持っていっている。
「お父さん、こんにちは」荷物を船便と航空便に分けて発送し終わり、家具類と家電製品は中古品専門店に売った翌日、梢、淳之介、あかり、恵祥の安里一家がやってきた。とは言え私を含めてホテル住まいになるので2泊3日の短期滞在だ。
「恵祥、大きくなったな。お祖父ちゃんに抱っこさせてくれ」羽田空港で出迎えると私は淳之介が抱いている孫を受け取った。すると梢の腕にすがっていたあかりが淳之介に移り、梢が私に寄り添った。どうやらこの編隊で官舎に向かうようだ。
「本当に空っぽになっちゃったんですね」あかりは玄関から居間まで白い杖で探りながら歩いてきたが遮るものが何もないことを確認して感心したように呟いた。
「家具類は全部売ってしまったんだ。八重山へ送っても良かったけど送料の方が高くつくだろう」私の説明に3人は納得してうなずいた。我が家は定年後にハワイへ移住する予定なので家具類は必要最小限にしていて売って惜しいような思い入れはなかったのだ。すると電車初体験でご機嫌の恵祥が広くなった部屋の中を歩き回り始めた。
「随分歩くのが達者になったね。これじゃああかりもついているのが大変だろう」「はい、ぶつかったり転んだりして泣いてもすぐには助けてあげられなくって。追いかけて私の方がぶつかったりします」あかりは視覚障害者としての自分の限界を告白しながらも卑屈さはない。むしろ恵祥の成長を心から誇らしく噛み締めているようだ。私はそんなあかりが愛おしく涙ぐみそうになったが、それを察したかのように梢が肩にもたれかかってきた。
「私、貴方についてオランダへ行くよ」その夜、ホテルのレストランで夕食を取っていて梢が唐突に本気では考えないようにしている希望を切り出した。遊び疲れた恵祥はレストランが用意してくれたベビー・ベッドで寝ている。
「何を馬鹿なことを。最後の冗談にしてもあまり上質じゃあないぞ」「お義父さん、母の夢をかなえてあげて下さい」「お義母さんは会社を辞めてしまったんだ。お父さんには連れて行く義務があるよ」安里一家は唖然としている私に集中砲火を浴びせてくる。梢の人間性から言えば夢を追って行動を開始しても足は地に着いているはずなので、現実的な準備も進めているのだろう。今回の梢の荷物は2泊3日の小旅行とは思えないほど大きかった。つまりこのまま東京に残って一緒にオランダ行きの全日空機に搭乗するつもりなのだ。今月上旬の電話で搭乗券が取れたと告げると妙に具体的で詳細な質問をしてきた。私としては旅行社に勤める人間としての職業的な関心だと思っていたが、自分の航空券を申請するためだったらしい。
「佳織は自分の仕事を守るんでしょう。私は捨てたよ。私は今度こそ押し掛け女房になります」梢は四半世紀前、親の反対で思い悩む私を救うために別れを口にした。その時の強いが倒せば砕け散りそうな固い口調とは真逆の燃えたぎるような熱波を感じる。この賢い女性が馬鹿になると言うのなら元々が馬鹿な私も大馬鹿になるしかない。私はテーブルのワインを口に運んで飲み干すと淳之介とあかりの顔を見回した後、梢を見詰めた。
「判った、一緒に来てくれ。ただし、佳織と離婚はしないぞ。離婚は嫌いになったからするもんだ。お前とは永遠の恋人同士としてオランダに逃避行しよう」私の迷台詞が古臭かったようで若い2人は反応しなかったが、梢は大きな目から涙を溢れ出させて深くうなずいた。
「私が増上寺で聞いた声はこのことを言ってたんだね」復活することになった不倫の恋人同士が波長を絡め合わせていると息子夫婦は不可解な会話を始めた。
「本尊さんが『ぜんざい、ぜんざい』って言ってるって話だな」「うん、お汁粉を食べなさいってことかと思ったけど・・・」そう言えばあかりは東京タワーの売店でお汁粉を食べていた。私と梢がつき合っていた頃の沖縄時には汁粉やぜんざいはなく平和通りの甘味店で見つけて初体験させた。その後は本土に帰る度に缶汁粉や缶甘酒を買って帰り好物にさせてしまった。
「それは『善き哉。善き哉』を音読した言葉でお経にも出てくるんだよ。阿弥陀さまが許して下さるんなら安心して駆け落ちできるな。・・・しかし、帯同の赴任手当は出ないんだよな」大馬鹿になる覚悟は決めたが、思考力まで本当に大阿呆になっているのかも知れない。
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  1. 2020/03/02(月) 13:40:47|
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