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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1848

「ルテナン・カーノー(2佐)」買い物を終えてアルバート・ハインを出ると歩道ですれ違った男性が立ち止まり挙手の敬礼をして声をかけてきた。私は迷彩服にカンボジアPKOの記念にもらい、北キボールPKOでも使った国連徽章がついた水色のベレー帽をかぶっている。それにしても私の階級が識別できると言うことは自衛隊との任務を経験しているらしい。
「アット・イース」敬礼を直り、「休め」と指示すると男性は緊張した顔のまま歩み寄った。それに合わせて梢は後退さり、適度な距離を取った。一連の動作を見る限り軍隊経験があるのは明らかだがオランダは1996年まで徴兵制だったので特別なことではない。
「君はジャパニーズ・ミリタリーと勤務したことがあるのかね」「はい、イラクのサマーワで一緒になりました」2人の会話が始まると背後の梢が徐々に間合いを詰めてきたのが判った。これも昔から変わらない行動だ。兎に角、私のすること全てに興味を抱くのだ。
「それはお世話になりました。日本のイラク派遣隊が無事に任務を遂行できたのはオランダ軍の治安維持のおかげですよ」妙なところで日本国、自衛隊を代表して感謝の意を表することになった。しかし、男性はかえって顔を強張らせて質問してきた。
「そのベレー帽はPKOの物ですが、2佐はどちらのPKOに参加されたのですか」「UNTAC(カンボジア)とUNTANK(北キボール)だよ」日本のマスコミなどはPKO活動を地域名で説明するが、海外では担当組織名を作戦と同義語にしていることが多い。すると私の回答に男性は無意識に「気をつけ」をして身体を硬直させた。
「どちらも我が軍の対応の不備で日本人が犠牲になってしまいました」「遅くなりましたが貴方の階級は何ですか」男性の反応に私は「士官である」と判断して確認した。下士官であれば任務を遂行していたことを誇示し、総合的な可否の評価はしないはずだ。
「はい、ドゥーフ予備役中尉です」男性が自己紹介したところで私から手を差し出して握手した。順番は儀礼に反するが見ず知らずの通りすがりの者同士の立ち話なので問題はない。
「貴方はUNTACで日本の文民警察官がゲリラの銃撃を受けた時、警護していたオランダ軍が見捨てて退避したことを言っているんだろうけど、応戦して撃破できる目算が立たなければ退避するのは軍の部隊指揮の常識だ。日本人は死ぬことを目的に戦うから理解できないだけだ。事情があってUNTANTについてのコメントは遠慮するよ」私の評価は国際的な軍の常識であって帝国陸軍の万歳突撃精神を踏襲している陸上自衛隊には通用しない。それでもドゥーフ予備役中尉はようやく安堵したようにうなずいた。2人と間近に歩み寄って聞いている梢までの空気が柔らかくなったところで会話を雑談に戻した。
「ところでドゥーフと言うと先祖は長崎でカピタン(商館長)を勤めてなかったかね」「よくご存知ですね。残念ながら違います」ここでは私の豆知識が役に立った。ヘンドリック・ドゥーフは1803年から1817年の長崎商館長で、母国・オランダがイギリスに占領されている事実を幕府に隠蔽し、オランダ国旗を掲げたアメリカ商船を長崎に入港させての密貿易を繰り返したが、同様の偽装をしたイギリス軍艦が襲来したフェートン号事件を発生させている。私は事件に関心を持って調べたのだが、「初めて俳句を詠んだ外国人」と言う人物像にも興味を持って研究範囲を拡大したのだ。
、「私もイラクでジャパニーズ・ジエータイと一緒になると聞いて日本との交流史を調べて知ったんですが、先祖にはいませんでした。それでも歴史上の有名人物なら子孫と言うことにすれば尊敬されるだろうと思ってジエータイの隊員に話しても誰も知らなくて落胆しました」「それはカピタン・ドゥーフが日本ではヅーフと呼ばれているからじゃあないかな。私だってタクシーで国際刑事裁判所の地名をスケベニンゲンと言われて驚いたよ」このオランダ訛りの英語と日本人が社会科で学習する片仮名の読みの違いを上手く説明するのは難しい。私も流石に言い分ける自信がない。たまたま読んだ歴史書にドゥーフと書いてあったから憶えただけだ。
「私はイラクでジエータイが示した厳正な規律心と誠実な人間愛に接して同じ軍人として心からの敬意と信頼を覚えました。それまでは第2次世界大戦中の元捕虜たちが日本軍の残虐性を戦争犯罪と宣伝しているのを信じていたのですが、今は元捕虜たちが敗戦の責任逃れするための言い訳だと考えています」イラク派遣には守山時代の同僚・田島1尉や久居での教え子・安川3曹も第1陣として名寄から赴いている。彼らが果たした貢献がイラクの復興だけではないことを実感し、心の中で感謝を込めて敬礼した。
「確かに日本軍がインドネシアに侵攻した時、現地の住民たちが極めて積極的に協力したのもオランダの植民地政策が過酷だったことを証明しているな」最後は苦言に等しい歴史講座になってしまったが、ドゥーフ予備役中尉は踵を鳴らして姿勢を正し、額に手をかざした。
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  1. 2020/03/08(日) 14:11:12|
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