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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1854

3日後のツアーに加わることができた本間郁子と松山裕美はニューヨーク・リバティ空港から北京に旅立った。その前に松山千秋が運転する私有車でニューヨークの市街地を流れるハドソン川の上流西岸にあるウェストポイント地区に寄り、駐屯地の外周道路に停めた車内で軍服に着替えた。陸軍士官学校内で着替えれば偽装は完璧なのだが、軍服や身分証明書を手配してくれた協力者を除けば本間と裕美が自衛官であることはアメリカ軍にも秘匿しているため窮余の策だった。これで少なくともウェストポイントから来た陸軍の兵士には見える。
「やっぱり制服を着ると気合が入りますね」「うん、陸自の制服よりも洒落てるから気分も好いよ」「会話は英語にしろ」2人が着替えている間、下車して周囲を警戒していた松山千秋が運転席に乗り込むと後席の女同士の会話に釘を刺した。本間と松山裕美は近くのスポーツ・ジムで少林寺拳法と極真会館の黒帯同士で稽古しており、設定通りの友人になっている。ただし、演じるのは台湾系のアメリカ陸軍軍曹だがら日本語を使うのは拙い。2人は肩をすくめて英語で談笑し始めた。これも海外旅行に出かける浮かれた気分を作るための準備運動だ。
「今回の旅行が2人にとって楽しいものになることを願っているよ。あくまでも祖先の土地である中国の空気を吸ってくることが目的だ。無茶なことをしないよう互いに自制してくれ」出発ロビーのゲートの前で松山千秋は職場の上司風に注意を与えた。2人は軍服を着ているので松山千秋も軍人と言うことになるが今日は私服だ。それでも2人の挙手の敬礼には同じように応えた。これなら私服を着た軍人に見えないことはない。
「貴方・・・」突然、松山裕美が駆け寄って胸にすがりつき、松山千秋は両手で抱き締め熱い口づけを交わした。ここがアメリカだから違和感はないが、どう見ても日本人の夫婦ではない。ただし、本間には羨ましい場面でもあった。
「今田(こんだ)さんの突き蹴りを受けていて不思議に思うことがあるんですよ」旅客機が離陸してシートベルトが着脱自由になったところで松山裕美が本間に話しかけた。周囲は共産党中国人か中国系華僑の客が多いので疑惑を抱かれない話題にしなければならない。
「どうして相手に当たる前から引こうとするんですか」松山裕美と本間はジムのフロアが空いている時には極真会館で言う組手、少林寺拳法の乱捕で互いに実戦性を強化している。そこで疑問に感じるのは本間が拳や蹴りを当てるだけで即座に引いてしまうことだった。
「だって少林寺の剛法(当身技)は急所に打撃するから時間的集中によって威力を高めれば効果は十分なのよ」「でも実際は私に当てても効果がないじゃあないですか」この指摘は本間も悩んでいるとことだ。松山裕美との乱捕では速度で勝る本間の突き蹴りが命中することが多いが、急所である水月=澪落ちを下から突き上げても松山裕美は卒倒するどころか、その場で猿臂(エンビ=肘)打ちや膝蹴りを返してくる。防具のような筋肉で身体を固めた男性の極真会館の空手家とは違い松山裕美はあくまでも鍛えて引き締まった女性であり、そうした敗北を重ねると少林寺拳法の理論に疑問を痛感せざるを得なくなる。
「極真では当てた相手の身体よりも拳1つ、足1つ分まで突き込む、蹴り込むように習います。勿論、連続攻撃をするために突き切った後には引いて構えますが、それは流れの中の動きであって、あくまでも突きで倒し、蹴りで倒すための一撃に力を込めるんです」「確かに貴方の一撃は堪えるわ」少女時代から少林寺拳法に励んできた本間としては急所への打撃で倒せないのは自分の技量不足と思いたいところだが、日頃の松山裕美の謙虚な人間性を知っているだけに素直に納得せざるを得なかった。
「でも少林寺の関節技は組手の動きから捕まえて極めてしまうんだから凄いですよね。私も痛い目に遭いました」松山裕美が突き込んだ後に引くのは先ほどの極真会館の理論の通りだ。今度は持ち上げられた本間は複雑な顔をしてうなずいた。
「少林寺拳法は中国の武術って言ってるけど本当は開祖が広島で学んだ不遷流柔術が元みたいなの。だから関節技が優れ物なのは当然だね」この話は大学時代、中国からの留学生の中央道が中国武術との動きの違いに違和感を持ち、研究した成果だ。中央道は剛法は香港功夫(カンフー)に通じるが、剛法(関節技)は日本発祥との結論に至って本間にだけ語っていた。それも懐かしさと哀しさが重なる思い出だ。
「サージェント、飲み物はいかがですか」そこにカートを押して通路を歩いてきたキャビン・アテンダントが声をかけてきた。カートの中にはビールやカクテルの缶が氷に浮かべてある。
「サージェント・ジョン(中軍曹)、アルコホールを飲みませんか」陸曹と呼ばれた経験がない(任官前は候補生だった)本間が返事をしないと松山裕美が奥から顔を出してカートを覗き込んで声を弾ませた。確かにこの旅客機の中では気楽な女2人旅だ。
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  1. 2020/03/14(土) 12:12:02|
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