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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月16日・アメリカ軍による戦争犯罪・ソンミ村大量殺害事件

ベトナム戦争中の1968年には2月12日のファンニィ・フォンニャット村と2月25日のハニ地区で韓国海兵隊による住民虐殺が発生し、それに続くように明日3月16日にはグアンガイ省ソンティン県ソンミ村でアメリカ陸軍による大量殺害事件が発生しました。
この事件はアメリカ陸軍第23歩兵師団第11軽歩兵旅団第20歩兵連隊第1大隊C中隊第1小隊長のウィリアム・カーリー中尉が指揮したと言われていますが、軍事法廷での証言が喰い違い、陪審員制度のため日本の法廷のように徹底的に究明することなく印象で採決したことで、その後の陸軍と国防総省による隠蔽と関係者の死によって真実は闇の中へ葬られつつあります。
この日、カーリー中尉は北ベトナム軍ゲリラ=ベトコン捜索のため第1小隊を引き連れてソンミ村のミライ集落に入りましたが、唐突に広場に集めた村民504名(男性149名・妊婦を含む女性183人・乳幼児を含む子供173名)を銃火器による無差別射撃で殺害し、火炎放射機で家屋を焼失させたのです。残っている記録写真(報告用であれば上官からの命令の疑いが強まる)を見る限り韓国軍のような性的暴行や虐殺行為はなかったようですが、その場に居合わさずに生き残った3名を除く全村民504名を殺害したことに間違いありません。このため上空で犯行を目撃した武装偵察ヘリコプターは基地に報告するのと同時に機外アナウンスで「発砲の即刻中止」「従わなければ攻撃を加える」と警告し、救助のため着陸しましたが手遅れだったようです。
中国人民解放軍兵士としてベトナム戦争に参加した友人の父親の経験談ではベトコンと中国兵の戦闘方法は武力紛争関係法を完全に無視して残虐極まりなく、それに対してアメリカ軍は国際法とアメリカ国内法、さらに政治的指令で手足を縛られ、おまけに悪意のマスコミが監視している中での戦闘を強いられていましたから鬱屈と憤怒が爆発寸前だったはずで、忍耐力に欠ける韓国軍が先に凶行に及びアメリカ軍それに誘爆したと言うのが事件の経緯のようです。しかし、日本の反戦平和団体は韓国軍による犯行は市民に知らせることなくアメリカ軍によるこの事件をベトナム戦争の凶事として象徴化しました。
事件後、開かれた軍事法廷ではソンミ村でのベトコン捜索について「暗に殲滅を促す中隊長の曖昧な命令があった」とする証言と現地でのカーリー中尉の独断・暴走とする証言が交錯し(カーリー中尉は「ヘリコプターが上空から銃撃した」とも弁明したが不採用)、結局、カーリー中尉だけが終身刑の有罪判決を受け、他の上官や兵士13名は証拠不十分で無罪になりました。そしてカーリー中尉も軍内の同情論を背景に10年の懲役に減刑された上で1974年3月に仮釈放されました。
その後は公式な場に姿を表すことはありませんでしたが、2009年8月19日になって奉仕活動団体の会合に出席し、初めて事件について謝罪を表明したのです。これに事件当時10歳だったソンミ村の生存者は「謝罪はないものと思っていた。あまりに遅くて驚いている。犠牲者を代表して受け入れたい」「カーリー中尉自身が村を訪れ、当時とその後40年の想いを語ってもらいたい」と述べて佛教的に幕を引いたようです。
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  1. 2020/03/15(日) 13:35:59|
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