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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月16日・東京裁判の良識派判事・ヘーリング判事の命日

1985年の3月16日は連合国の不当な復讐劇だった東京裁判の中でインドのラダ・ビノード・パール判事と共に国際法に基づく正論を主張したオランダのベルナルト・ヴィクトール・アロイジウム・(ベルト)・ベーリンク判事の命日です。
日本人はナチス・ドイツを断罪したニュルンベルク裁判と同じ論理で日本を処断した東京裁判をイギリスから独立したばかりだったインド人のパール判事が批判したことを勝手に「同情」と理解していますが、法学者として国際法の不公正な適用と事後法による訴追を批判したに過ぎず、東京裁判以上に問題が多かった現地軍によるBC級戦犯の軍事裁判については容認し、推進を主張しています。その点、ヘーリング判事は全ての判事の中で最も詳細に訴追事由を検証し、公正に審査して極めて適切な判断を下しました。
ヘーリング判事は1906年にオランダ南部のデン・ボス(旧・スヘルトーヘンボス)の裕福なカソリック信者の家庭に生まれました。幼い頃から自我が強く、社会の固定的な常識に反発しながら成長すると法学者だった叔父の勧めと社会と犯罪、犯罪と刑罰の関係への興味から大学の法学部へ進むことを決めました。ところがカソリック系の大学に入学すると宗教的倫理と法律による犯罪者の処罰は相容れないとする見解から刑法が蔑視されており、在学中は刑法学の教授の推薦を受けて他の大学でヨーロッパにおける刑務所制度を研究しながら過ごしたそうです。卒業後にこの研究成果を発表すると別の大学から賞を贈られ、1933年には「職業犯罪者=常習犯のための立法」と言う論文で博士号を得ました。こうしてオランダの法学界での知名度が高まるとオランダでは4番目の都市のユトレヒト大学の教授になり、1936年にはユトレヒト裁判所の判事代理に就任しました。
ところが1940年にオランダがナチス・ドイツに占領されると一方的に改定した法律に背く判決を下したため危険人物視され、法務当局は地方の下層裁判所に左遷して逮捕を免れさせました。第2次世界大戦が終結するとオランダも国王一家がイギリスに亡命していたことで戦勝国に加えられ、東京裁判に判事を差し出すことになったのですが、占領下でナチス・ドイツに協力・従属しなかった人物が見つからず、国際法と政治情勢には素人でも英語に堪能なヘーリング教授兼判事代理が任命されたのです。
ヘーリング判事は11名の判事の中で最も早く東京に着任したため占領軍の京都とヒロシマの視察団に参加しています。さらに一面の焼け野原になった東京や横浜で暮らしたことで開戦初頭にロッテルダムを無差別爆撃したナチス・ドイツとアメリカ軍に差異がないことを痛感してパール判事の意見に共鳴するようになりました。ヘーリング判事は「東京裁判の所管はマレー半島上陸と真珠湾攻撃以降に限定するべき」「(日本的意思決定の)共同謀議の認定方法には疑義がある」「通例の戦争犯罪では島田繁太郎大将、岡敬純中将、佐藤賢了中将も死刑が相当である」「(文民で唯一死刑になった)広田弘毅首相は通例の戦争犯罪では無罪、平和に対する罪でも死刑にするべきではない」との見解を示しています。
帰国後は国際連合のオランダ代表を歴任しますが、日本の敗戦で取り戻した東南アジアの植民地の独立を容認する発言によって解任されました。
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  1. 2020/03/16(月) 13:05:42|
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