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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1864

10月中旬になって佳織は伊丹の伊藤家の墓に参った。坊主である夫は明治の廃佛毀釋を許さず、本来は宮中行事=神道の儀礼である春秋の彼岸ではなく太陰暦4月8日の清明(シーミー)節と同8月15日の秋夕(チュソク)に墓参していた。今年の秋夕は9月29日の土曜日からだったが10月上旬に連続する採用試験の準備のため今日まで来られなかったのだ。
「佳織ちゃん、今年の秋夕は遅かったね」「うん、採用試験が終わるまでは身動き取れなかったのよ」墓参の後は亡き母の友人であるママさんの店に寄るのが習慣だ。それでもスナックは70歳を過ぎた頃に止め、今はカラオケが歌える喫茶店として昼間だけ営業している。そのためカウンターの正面の壁の棚はキープ・ボトルに代わって馴染み客との記念写真の額が並んでいる。そのカウンターも今日は貸し切りだ。
「それでもモリヤさんは佳織ちゃんがアメリカに行っている間も東京から日帰りで来ていたよ」ママさんの口調が少し厳しくなったが佳織は聞き流してコーヒーをすすった。そんな態度にママさんはカウンターに両手をついて身を乗り出した。
「ここは貴女のお母さんとお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのお墓なんだし、高松からならそれこそ日帰りでも来られたでしょう。モリヤさんだって春は新学期(新年度の間違い)、秋は演習の事故なんかで仕事が溜まっているって慌てて帰っていたんだよ」要するに佳織の母親と祖父母の供養が血縁のないモリヤよりも粗略になっていることを叱責しているようだ。
「あの人は坊さんだもん。自衛隊と法要は同価値の仕事なのよ。でも私は自衛官専業だから可能な範囲で最善を尽くせば良いの。あの人もそう言っていたわ」佳織の反論にママさんは身体を起こして腕を組んだ。その目にはいつもは見せないかすかな侮蔑の色が陰っている。
「それはモリヤさんが貴女に負担をかけないための許しであって、できない分は自分が肩代わりするつもりだったのよ。実際、そうしてくれてたじゃない。典子の人生を考えたら貴女の供養がなければ救われないってことが判らないの」ママさんの指摘に飲んでいるコーヒーが急に苦くなった。母の典子は東京の大学を卒業後、横田基地に就職して郵送機のパイロットのノザキ中佐と知り合った。やがて結婚するとハワイに移住して佳織を生んだのだが、ベトナム戦争の激化でノザキ中佐は帰宅できなくなり、夫を日系人部隊第442戦闘団で失った義母からは軍人の妻としての銃後の守りを指導され、佳織の育児も重なって心労から体調を崩すようになった。結局、佳織が13歳の時に離婚して帰国したのだが、佳織は日本の中学校の担任の教師に性的関係を強要されたため家を売って神戸のアメリカン・スクールに転校させた。その後は祖父の病気、祖母の介護で自分の子宮癌に気づくのが遅れ、佳織がアメリカの大学に留学中に病没した。そんな母の魂を悲しませるようなことが許されるはずがない。佳織の顔から表情が消えたのを見てママさんはあえて追い討ちをかけた。
「結局、モリヤさんは昔の恋人と一緒にヨーロッパへ行っちゃったんでしょう。どうして貴女がついていかなかったの。自衛隊だって仕事を長く休むことはできるんじゃあないの」佳織はママさんが自分を「貴女」と呼んでいることに気がついて、空になったカップを皿に置くと地方協力本部勤務で身につけた営業用スマイルを浮かべて見返した。
「私は1佐であの人は2佐なの。職責が違うわ」「そうかしら。私が見る限り人間力はモリヤさんの方が数段上よ。貴女は自衛隊が女の活躍を宣伝するのに利用されているだけじゃあないの」自衛隊の幹部人事としては幹部候補生学校の卒業序列から指揮幕僚課程卒、アメリカ陸軍指揮幕僚大学院への留学と佳織がモリヤよりも上位に置かれ、差が開いていくことの根拠は十分だが、伊丹市内の企業経営者たちが利用していたスナックのママさんの眼力も否定はできない。
「今のままモリヤさんが昔の恋人と暮らして『残りの人生の伴侶はこの人だ』って気持ちになっても責めることはできないよ。これから貴女はその覚悟を持って自分の仕事に打ち込むことね」このママさんの言葉に佳織は反応しなかった。その時、有線放送が関西限定の大歌手の曲を流し始めた。これはやしきなかじんの「やっぱ好きやねん」だ。
「もう一度、やり直そうって 平気な顔して 今更 さしずめ振られたんやね・・・」佳織にとってやしきなかじんは関東地方では放送していない報道バラエティー番組「なかじんのそこまで行って委員会」をママさんに録画して送ってもらいモリヤと2人で見て語り合ったものだが歌を聞くのは久しぶりだ。
「・・・やっぱ好きやねん。やっぱ好きやねん。アンタやなきゃあかん。ウチは女でいられん・・・きつく抱いてよ 今夜は」佳織は鼻の奥に塩辛い水が大量にあふれ出したが、目からはこぼさなかった。この身体まで制御できる冷淡なほどの自己抑制力が感情を素直に露わにするモリヤを超えている点でもある。しかし、ママさんは哀しそうな目で佳織を見詰めていた。
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  1. 2020/03/24(火) 12:32:23|
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