FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第88回月刊「宗教」講座・短いお経シリーズの第4弾「龍樹菩薩讃準提陀羅尼」

この経文は曹洞宗の大本山・總持寺が托鉢行に出る雲衲たちに唱えさせています。その曹洞宗の経本に掲載されている経文は訓読に準提観世音菩薩の真言を組み合わせています。
「龍樹菩薩讃隼提陀羅尼(りゅうじゅぼさつさんじゅんていだらに)」=「準提功徳聚。寂静にして心常に誦すれば。一切諸の大難。能くこの人(ひと)を侵すこと無し。天上及び人間。福を受くること佛の如く等し。この如意珠に遇わば。定んで無等等を得ん。もし。我誓願大悲のうち。1人として二世の願を成ぜずんば。我虚妄罪過のうちに堕して本覚に帰らず。大悲を捨てん。のうぼうさつたなん。さんみゃくさんぼだぐちなん。たにやた。おん。しゅれいしゅれい。じゅんていそわか」
真言の訓読「一切の七億千万の正等覚尊に礼したてまつる。辞(こと)わきて申さく。おお遊行尊よ。清浄尊よ。めでたし」
この経文を讃している(=賞賛する。証明する)龍樹さまは2世紀にインドで生まれたとされる実在の佛教者で、東アジアでは「大乗佛教の大成者」と評されており、真言宗では密教の創始者8人=「付法八祖」の大日如来、金剛薩埵、龍猛菩薩、龍智菩薩、金剛智三蔵、不空三蔵、恵果阿闍梨、弘法大師の第三祖とする一方で、密教を伝えた「伝法八祖(架空の存在である大日如来と金剛薩埵を除き、中国での伝法者を加えた)」の龍猛菩薩、龍智菩薩、金剛智三蔵、不空三蔵、善無畏三蔵、一行禅師、恵果阿闍梨、弘法大師の第1祖・龍猛と同一人物とされています。また蓮如妾人以降の浄土真宗では根本経典扱いしている親鸞聖人の「念佛正信偈」(=「教行信証」の一節)では龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空の七高僧の一祖としています。ただし、インドで大乗佛教が成立し、それがヒンドゥー教の祈願の施術として発展した薬学=医学や天文学=占星術、さらに土木工学、農業学などを含有・網羅した密教が派生したのは四世紀から六世紀と言われているので2世紀の龍樹さまとは年代が合わず、龍猛さまと同一人物とするのには無理があるようです。その後、インド密教はヒンドゥー教の呪術的な陀羅尼を取り入れ、むしろ加持祈祷を本業とするようになったので、この準提陀羅尼も本来は後期インド密教の経文でありながら権威づけのために龍樹さまの名を冠した可能性も考えられます。
一方、準提観世音菩薩は准胝とも書きますが、多羅観音や葉衣観音と同様にヒンドゥー教の女神・チャンディーが佛教に取り入れられた菩薩とされています。観世音菩薩には本来、性別がないのですが乳房の膨らみがなく、経典の中では「善男子(ぜんなんし)」と呼びかけられることがあるので基本的には男性のようですが(某宗派の坊主の解説によれば口の周りに生えているのは説法の声の響きの表現であって髭ではないらしい)、衆生救済のため自在に姿を変えるとされているため女身に変化(へんげ)した形として観世音菩薩に加えられたのでしょう。しかし、これは変化観音の1つとしている真言宗の説で、天台宗ではインド密教での位置づけを踏襲して佛母=女身の菩薩としているようです。日本の准胝観音像は唐代の密教僧で前述の両八祖に名を連ね、鳩摩羅什、真諦、玄奘三蔵と共に四大訳経家と評されている不空三蔵、別名・不空金剛が訳した「七倶胝佛母諸説准堤陀羅尼」で描かれている1面3目18臂が大半ですが、この3目は他の佛像では白豪(びゃくごう=毛玉)が生えている額の中央に縦についており、失礼ながら昔の時代劇「畑本退屈男」の早乙女主水之介の眉間の傷のように見えます。さらに最高位に在ることを示す高い髻(もとどり)を結い、他の観音のような髪飾りではなく宝冠をつけていることが一般的です。
日本では准胝観音像が正式に祀られたのは真言宗の高野山で弘法大師が得度式の守護としたのが始まりで、准胝堂が焼失した後も庫裏に遷座されて修行僧によって護られていました。これを受けて理源大師・聖宝さまが醍醐寺を開いた時にも勧進され、山中にある上醍醐に祀られました(上醍醐の准胝観音堂は2008年8月24日未明に落雷により全焼したものの観音像は無事だった)。一方、曹洞宗の大本山である總持寺でも修行僧の大所帯で雑用全般を担う衆寮の本尊として祀られていて、托鉢でこの経文を唱える理由になっています。しかし、總持寺がこの経文を用いている本当の理由は比較的短いので暗記するのが容易な上、「待っていて下さい」などと声がかかった時にも後半の陀羅尼を繰り返せば幾らでも待つことができると言う現実的な利便性にあるようです。確かに舎利礼文や地蔵菩薩経偈、延命十句観音経では何度も繰り返している間に施主が出てきても待たせて最後まで唱えることになりますが、この陀羅尼であれば比較的短時間で済みます。勿論、托鉢僧に喜捨するような家は信仰心が篤いので途中で出てきても手を合わせて待っていますが、唱える側としては気が楽なのは確かです。とは言えこの経文は永田文昌堂(京都市下京区花屋町通西院西入)が昭和15(1940)年発行、昭和58(1983)年重版している「昭和訂補・曹洞宗日課経大全」に収められているにも関わらず曹洞宗内での知名度は低く、野僧が小浜の僧堂に掛塔している時、托鉢でこの経文を唱えていると修行歴25年の古参から「他宗派のお経を唱えるな」と叱責されたため帰山してから経本を見せると「初めて知った」と感心されたことがありました。確かに小浜市を含む福井県内は總持寺がある横浜市鶴見区のような都市部の商店街や住宅地とは違い大きな家屋が多く、返事をされれば般若心経でも足りなくなって最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶」の陀羅尼を繰り返すことも珍しくありませんから必要性はそれほど高くないのでしょう。
ちなみに前述の不空金剛は准胝観音の真言「おん・しゃれい・しゅれい・じゅんてい・そわか」に「唵=三身(法身・応身・報身)の義。者=一切法不生不滅の義。礼=一切法相無所得の義。主=一切法無生滅の義。礼=一切法無垢の義。准=一切法無等覚の義。泥=一切法無取捨の義。娑婆=一切法平等無言説の義。賀=一切法無因の義」の文字を当てて字義としています。不空金剛は705年の生まれとされているものの出生地については父はインド北部のペルシャ人のバラモンとされていてもインド南部、現在のウズベキスタン、同じく中国の中央部の甘粛省との諸説があり、774年に唐で没したとされているので、この経文を書物としてだけでなく天竺で聞いた法として唐へ伝えたのかも知れません。
准胝観音は汚れを除き、絶対の救済を誓願しておられる菩薩です。家に像をお祀りしていなくても加護を願って唱えれば必ず功徳を及ぼしてくれるでしょう。ちなみに小庵では毎週日曜日夕の殉職自衛官の慰霊法要で勤めています。南無準提観世音菩薩
88a・準提観音(醍醐寺)醍醐寺(京都府伏見区)の准胝観音像
88b・準提観音(法明院)法明院(北九州市小倉南区)の准胝観音像(眉間の3つ目に注意)
88c・タラ像タラ像(大英博物館所蔵・スリランカで出土)
スポンサーサイト



  1. 2020/04/01(水) 13:30:21|
  2. 月刊「宗教」講座
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<振り向けばイエスタディ1873 | ホーム | 振り向けばイエスタディ1872>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/6050-5e9544fd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)