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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月14日・昭和の国民的歌手・三波春夫の命日

2001年の明日4月14日は昭和39(1964)年の東京オリンピックの「東京五輪音頭」や昭和45(1970)年の大阪万国博覧会の「世界の国からこんにちは」を唄った国民的歌手・三波春夫さんの命日です。
東京オリンピックの時、野僧は3歳でしたが、祖父の寺の境内の盆踊りで万博の年に「21世紀の夜明けは近い(歌・佐良直美さん)」が始まるまで流れていたため唄えるようになりました。
「ハァー あの日 ローマで眺めた月が ソレトトントネ 今日は都の空照らす ア チョイトネ 4年経ったらまた会いましょう 固い約束夢じゃない ヨイショコーリャ 夢じゃない オリンピックの顔と顔 ソレトトントトトント 顔と顔」
この「東京五輪音頭」は三波さんの持ち歌だと思われがちですが、各レコード会社が代表歌手で発売したためテイチクの三波さんの他にもビクターは橋幸夫さん、キングは三橋美智也さん(作曲した古賀政夫さんは三橋さん用に音程を合わせていた)、東芝は坂本九さん、コロンビアの北島三郎さんと畠山みどりさんなどの実力派が競い合ったそうです。
三波さんは大正12(1923)年に新潟県長岡市で本屋・印刷業・文具商を営む裕福な家の3男として生まれました。7歳の時に母親が腸チフスで死亡すると父親は子供たちを励まし、家庭を明るくするため毎晩のように佛檀の前に集めて民謡を教えたので、それが三波さんに歌唱の基礎を作ったのかも知れません。9歳の時に父親が子供連れの女性と再婚すると理想的な母親だったおかげで元気を取り戻しましたが、深刻な不況が全国を覆っている中で次第に家業が傾き始め、13歳の時には家族で上京して米屋や製麺業者に住み込みで働くようになり、同時に大流行していた浪曲師になることを夢見るようになりました。16歳で東京の文京区本郷にあった日本浪曲学校に入って若手実力派浪曲師として人気を博していた昭和9(1944)年、徴兵によって大陸に出征すると娯楽に飢えていた将兵たちの前で園芸を披露していたのですが、敗戦によってソ連の捕虜になりシベリアへ抑留されたのです。シベリアではソ連による共産主義洗脳教育を語って回る職務につき無事に捕虜生活を送ることができましたが、それでも癌の告知を受けた1990年代になるとソ連のジュネーブ条約を無視した非人道的な捕虜の取り扱いを批判していました。
昭和24(1949)年に帰国すると浪曲師に復帰しますが、占領軍によって西洋音楽が持ち込まれた日本では浪曲は下火になり、昭和32(1957)年に三波春夫に芸名を換えて歌謡界にデビューしたのです。その後は張りのある美声で男性歌手の第一人者の地位を維持しますが、女性歌手の美空ひばりさんが女王として君臨したのとは対象的にあくまでも実力者として周囲とファンから敬愛されていました。三波さんは癌の告知を受けても妻とマネージャーを務めていた娘だけの秘密として外部には漏らさず、治療で髪の毛が抜けると植毛して隠しながらステージに立っていたそうです。
それにしても長く歌い継がれるような大会主題歌は三波さんの「東京五輪音頭」や「世界の国からこんにちは」とトワエモアさんの昭和47(1972)年の札幌冬季オリンピックの「虹と雪のバラード」まででなくなってしまいました。
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  1. 2020/04/13(月) 13:26:32|
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