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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1887

「モスクがあるな。止めてくれ」アビジャンから北西に235キロの位置にある現在の首都のヤムスクロに向かう途中の集落で私はイスラムのモスクを見つけてドライバーに声をかけた。
「ウィ・ムッシュ(フランス語のイエス・サー)」英語での命令だったがドライバーは即答した。ドライバーは日替わりなので今日の伍長の英語力は確認していないが指さして「ストップ」と言われれば雰囲気で判っても不思議はない。
「あれはイスラムのチャーチ(教会)ですよ。モリヤ2佐はブディスト(佛教徒)でしょう」すると隣りからオージェ大尉が横槍を入れてきた。私が佛教徒であることは毎度の頭を剃髪している理由で説明している。その司令との対話にオージェ大尉は立ち合っていた。
「以前、北キボールPKOで殺害したムスリム(男性のイスラム教徒)の若者たちの慰霊をしたいんだ。デン・ハーブにはモスクがないから気になっていたんだよ」「ならばチャーチで祈ればカミの加護があるでしょう」ここまで嫌悪感をアカラサマにするところを見るとオージェ大尉は敬虔なキリスト教徒らしい。私は今回の内戦に別の背景が存在する気配を感じ取った。
「頼みましょう」伍長がモスクの前で停車させると私は正面の扉を押し開けて佛教の寺院式に挨拶をした。ちなみに「挨拶」は来訪者の境地を確認する問答を意味する佛教用語だ。
「頼みましょう・・・お留守なら勝手にサラート(礼拜)させてもらいますよ」返事がないのでもう一度、声を掛けると私はかぶっているヘルメットを取って中に入った。建物に損傷はないが、人の存在も感じられない。拝殿の正面に掛けてあるマッカ(メッカ)の方向を示す壁掛けカーペットの前に立つと東京のモスクで学んだ礼拝の作法を思い出した。
「それでは失礼します。スプハーナッ=ラー。スプハーナッ=ラー」先ずマッカに案内も乞わずに異教徒が立ち入って勝手に礼拝することを詫びてから思い出した意志表明を2度唱えた。
「アシュハド アン ラー イラーハ イッラ=ツラー(アッラーの他にカミはないことを証言する)」「アシュハド アン ムハンマダン ラスール=ツラ―(ムハンマドはアッラーの使いであることを証言する)」「ハイヤー アラッ=サラー(礼拝のために来たれ)」「ハイヤー アラ=ル=ファラー(成就のために来たれ)」「アッラー アクパル(アッラーは偉大なり)」最初の意志表明が出て来れば続きは流れだ。それぞれの言葉を2回ずつ繰り返すと最後に1度「ラー イラーハ イッラッ=ラー(アッラーの他にカミはない)」と叫ぶように唱えた。
ここからは清めの動作だが頭より身体が働く私には得意技だ。先ず両手で顔全体を撫で、右手から左手の順で指先から手首までを内側、外側の順で撫で、続いて同じ要領で手首から肘までを撫でる。最後は中国の三跪九叩頭を模倣した日本の佛教の三拜よりも念入りに拝礼する。床に膝、肘をつきながらで額で擦る。これが五体投地だ。
「阿弥陀如来根本陀羅尼」何とか拝礼の作法を終えて立ち上がると私は場違いな経文を唱えた。本当はコーランを4回詠唱し、礼拝の意志表明をするのだが、イスラム教ではアラビア語以外の言語に翻訳することを「アッラーの啓示を変質させる」と厳禁しており、浪々とした独特の節回しをつけるため異教徒の異邦人には無理なのだ。ならば佛教徒として同じ西方に鎮座されている阿弥陀如来に頼むことをお許し願うしかない。
「見事な拝礼ですがコーランの詠唱は無理なようですね。私が代わりましょう」すると拝殿の横にある扉から正装したアフリカ人のウラマー(イスラム教の聖職者)が出てきた。私はコートジボワールに来て以降、自衛隊の習慣で88式鉄帽(てっぱち=実際は樹脂製)と防弾チョッキ2号を身につけているが、昼夜30度を前後する高温による熱射病を心配している。オージェ大尉とドライバーも市街地以外ではボディー・アーマー・ベストを着用しているが、かなり参っている。ウラマーの装束は砂漠地帯の乾燥した気候の過酷な太陽光線と砂塵を防ぐためのアラビアの民族衣装であってコートジボワール南部の高温多湿な熱帯雨林気候(北部の内陸地帯はサバンナ気候)には合わないはずだ。
「この拝礼の目的は何だったんですか」コーランの詠唱を終えたウラマーは思いがけず流暢な英語で質問してきた。イスラム教の聖地であるアラビア半島は英語圏なので修学に行っていたのかも知れない。そこで私は護符代わりに持ってきた北キボールのトバラのモスクのウラマーから与えられたイスラム法廷の判決証明書の複写を図納から取り出して手渡した。
「このイスラム法廷では無罪判決を受けただけでなく、悪事を働いた者を罰した賞賛されているのに慰霊を勤められているんですね」「日本の佛教では生前の罪は死を以って断絶できるとしています。だから命を奪った者として彼らの魂魄の平安を願うのです」「アッラーの慈悲に通じる教えですね」私の説明にウラマーは深くうなずいた。敬虔なクリスチャンを待たせているので長居をできずに車両に戻ったが、今回の目的の1つは果たすことができた。
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  1. 2020/04/16(木) 13:32:29|
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