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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1890

「帰ったさァ」中1週間の激務の後に再び10時間を超える空と陸の移動を終えて自宅に帰ると私は沖縄風に声を掛けてドアを開けた。これは梢と共演した青春ドラマの再現でもある。
「今、無事に帰りました。有り難うございました」梢は私の机の前で両手を合わせて祈っていた。広い部屋の玄関にまで香りが聞こえてくることで絶えず線香を焚いていたことが判る。
「お帰りなさい」灯明の火を消して歩み寄った梢の目の下には隈ができていた。やはり徹夜していたらしい。私は今朝、エヴルー=フォヴィル基地に着いてそのまま国際刑事裁判所の車両で帰ってきたためシャワーを浴びていない。少し不潔な感じはするが黙って抱き締めた。
「うん、貴方だ。貴方の匂いがする」梢は私の加齢臭を鼻で嗅ぎながら感激している。私は髪の匂いを確かめながら腕に力を込めた。身体の弾力と体温は梢だった。
「今夜は遅いから消化が良い麺類にしたのさァ」2人でシャワーを浴びた後の夕食は自衛隊なら消灯ラッパが鳴る頃になった。基地に到着して帰宅予定時間を知らせてあったから食べられない御馳走を準備する無駄な労力を使わせずにすんだが、梢は申し訳なさそうな顔をしている。
「うん、血糖値が高めだからこれで丁度好いよ」シャワーから出た後、血糖値の測定キットで測ってみるとやはり標準よりも高めだった。確かにフランス軍のミリタリー・レーション(携行食)は高カロリーだったが、それよりも酷暑のアフリカで会話は全て英語、治安も必ずしも沈静化していない中での調査活動はストレスが原因の私の糖尿病に影響は小さくはなかった。ただし、麺類と言ってもパスタを野菜や魚のほぐし身と一緒にコンソメ・スープで煮てケチャップや胡椒、微量のタバスコで味をつけた煮込みパスタだ。梢には名古屋の味噌煮込みうどんを食べさせたことはないから参考にした訳ではない。
「これを食べる時は箸の方が雰囲気はでるかな」「でも材料は全部洋食だよ」手を合わせてパスタをすすりながら早速馬鹿噺を始めた。これも長らく味わっていなかった無事に帰宅した喜びを共感する便(よすが)だ。万事に全力投球・完全燃焼する私が仕事を終えて帰宅しても、そこは無人・留守と言う生活からようやく解放された幸せをパスタと一緒に噛み締めた。
「それに丼ぶりに麺が浮いている方が似合ってるよ」「そんなに麺が食べたいなら今度お母さんにソバを送ってもらうさァ」やはり喜びの馬鹿噺は止まらない。梢が言うソバは本土の蕎麦ではなくラーメンのきし麺のような沖縄ソバだ。どちらも好物の私としては大歓迎だが、天婦羅蕎麦も食べたくなってきた。
「ズーッ、ズーッ、ズーッ、ズッ、ズッ、ズッ」話のついでに音を立ててパスタをすすってみた。実は日本の麺をズルズルと音を立てて食べるのは無音の食事を作法とする寺でも許され、禅僧の祖父もワザとのように豪快な音を立ててすすっていた。ところがヨーロッパではこちらもタブーなのだ。しかし、慣れないことはするものではない。ケチャップが飛び散って着替えた寝巻のスウェットの袖に赤い点がついてしまった。
「一昨日の夜、何かあったの」寝床に入ったのは日付が変わる直前だった。腕枕をしながら左手で身体の感触を確かめていると梢が呟くように訊いてきた。
「一昨日の夜って言えば・・・」私の頭の中では移動時間が割り込んでいる分、カレンダーが混乱している。昨日の午後から今日の朝までは輸送機の中、今日も夜まで車両での移動だったから一昨日の夜はリベリアの難民キャンプを視察した帰りに野宿した時になる。
「確かに何かあったな」「私も急に背筋が凍りついたように寒くなって、同時に胸の奥から熱い炎が湧き上がるような感じがしたの」私と梢の魂を接続している回線は本土と沖縄以上の距離があるオランダからコートジボワールでも互いの精神状態を伝達するようだ。あの時、威嚇しながら攻撃準備を整えている野獣と対峙していた私は恐怖よりも「オージェ大尉を守る」と言う使命感を燃え立たしていた。駆けつけた時、懐中電灯に浮かんだオージェ大尉の恐怖に凍りついた顔がレイプされた時の梢に重なって覚悟さえも不要だった。
「サバンナで野宿していてトイレに行ったフランス軍の士官がヒョウに襲われそうになったんだ。だから代わりに戦おうとしたんだが、ドライバーが威嚇射撃したらそれで逃げていったよ」「貴方は素手だったの」「まさか。ちゃんと軍刀を得物にしていたよ」説明を聞いて梢は窓際のクローゼットの上の刀掛けに置いてある短剣の軍刀を見た。今はカーテン越しに差す月明かりで影しか見えないが、小声で「ご苦労さま。ありがとう」と声をかけた。どうやら私を守るために働いてくれたことへの慰労と感謝らしい。
「でもフランス軍の士官は自分で戦わなかったんだね」「女性だからしゃがんで用を足していたんだろう」「若い女性なの」突然、梢の声が大きくなった。これはつき合っていた頃には焼かせなかった嫉妬だ。こうなるとフレンチ・キッスの話は封印しなければ危ない。
オージェ大尉(Milla Jovovich)イメージ画像
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  1. 2020/04/19(日) 14:22:52|
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