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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月26日・成田空港の管制塔を過激派学生が破壊した。

1978(昭和53)年の明日3月26日に4月1日の開港を間近に控えていた成田空港の管制塔を過激派学生が襲撃し、破壊しました。
野僧は高校2年の春休みだったので朝のニュースから中継を見ていたのでが、最終チェックをしていたエンジニアや管制官が手すりもない屋上に逃れ、ガラス張りの管制塔内で過激派が棒で機械を破壊する映像に憤慨し、「千葉県警に入って過激派と戦おう」と思ったのですが、これも父親から「トロイ」と一蹴されました。
後年、浜松で警備小隊長になって警察の資料映像を見ましたが、佐世保での米海軍空母や原子力潜水艦入港反対デモでは、機動隊とデモ隊が橋の上で衝突を繰り広げ、欄干を乗り越えて次々と湾に落ちる者があり、下では双方のボートが走り回って救助していましたが、特に機動隊員は重い装具をつけているため危ない状態でした。
成田闘争ではほぼ戦闘状態で、デモ隊側は角材に釘を打ち抜いて凶器化し、何の躊躇もなくそれで機動隊員の身体を殴り、頚部を打たれて血を噴いて倒れ、後方で手当てを受けるため装具を外した隊員は生気がありませんでした。
さらに塔の上から火炎瓶を大量に落として火の海にして機動隊員を焼き、鎮圧用の放水車は隊員の身体についた火を消すことが役割になっていました。
そして管制塔の破壊は、地下の下水道から侵入したとのことで、その経路も撮影していましたが、空港外の道路脇の排水溝から潜り込み、途中にある金属製の柵を何か所も切っており、長時間にわたる行動であったことが判りました。
野僧としては、このデモに対処するだけの訓練で警備小隊員を鍛えなければならないと思う一方で、野僧自身も沖縄で突入してきた軽4トラックを止めようと立ちはだかり、はねられたことがありましたが、デモ隊にとってその程度は朝飯前だったようで、轢き殺されなかっただけ良かったとするべきことを知りました。
  1. 2013/03/25(月) 09:11:51|
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