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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月27日・「哲学の日」=ソクラテスの命日

明日4月27日は「哲学の日」です。由来はキリスト教紀元前399年に古代ギリシャの世界最初の哲学者・ソクラテスさんが刑死した日だからです。
野僧は高校に入学して校内案内で図書館に行った時、伝統校だけに県内屈指の蔵書に感動しながらも(保管専用の第2図書室があった)世界哲学全集が新品同様なのに気がついて卒業までに全巻を読破することを決意しました。その1巻がソクラテスさんでした。
弟子であるプラトンさんの「饗宴」や「ソクラテスの弁明」によればソクラテスさんはキリスト教紀元前469年頃に古代ギリシャのアテネィの石工とも彫刻家とも言われる父と産婆の母の間に生まれたとされています。青年期には重装歩兵として戦争に参加したもののその後はロクに働かず、収入にならない自然科学にうつつを抜かしながら年を重ね、晩年には日常生活には無縁の議論しかしない哲学者になったのです。
ソクラテスさんが哲学者に転身した切っ掛けはある日、弟子の1人が神殿で巫女に「ソクラテス以上の賢者はいるか」と問うてもらったところ、「ソクラテス以上の賢者はいない」との答えが返ってきたと聞き、「自分は愚か者だ」と自覚しているソクラテスさんは大いに困惑したことでした。そこでソクラテスさんは自分が愚か者であり、カミの言葉が誤りであることを証明するために賢者と呼ばれている人たちを訪ね歩いて「暗愚な私の質問に答えて下さい」と教えを乞うようになりました。ところが自他共に認める賢者たちは質問の大意には記憶している知識で答えられても質疑応答を重ねている間に知識では対応できなくなり、結局は自分としての思索は行っておらず、独自の思想を確立していないことが判明したのです。一方、ソクラテスさんは「自分が愚か者である」と自覚しているため始めから知識には頼らず、相手の回答に感じる疑問を率直で真摯に探求していたため独自の思想が深まり、やがては揺るぎなき真理に到達したのです。ソクラテスさんはこの自分の境地を「無知の知」と呼びました。
ところがアテネィでは高名な賢者たちが次々に論破されることが評判になり、ソクラテスさんが訪ね歩くとその質疑応答には観衆が集まるようになったため面目を潰された賢者たちの恨みを買い、「アテネィのカミとは別のカミを信じ、それを広めたことで若者を堕落させた」と言う罪で告発され、公開裁判の結果、死刑の判決が下ったのです。
当然、弟子や冤罪であること知っている周囲は脱獄することを勧め、看守も牢の鍵を外していましたがソクラテスさんは「単に生きるのではなく善く生きる」と言う信条に殉じて黙って毒入りニンジンを食べて死にました。
野僧も「自分こそ究極の愚者=社会の不用品」と確信しながら子供の頃からの人一倍強い知的好奇心を満たすためだけに相手構わず質疑応答を繰り返してきましたが、ある日、地域で一番の高僧から「アンタは人にコンプレックスを与える人だ。聞きかじりの知識を振り回して自慢してくれれば馬鹿にできるが、自分が素人だからと教えを乞われると答えられない我々は深々と拜むしかなくなる」と言われたことがあります。ソクラテスさんの「無知の知」も同様に自覚のないまま相手を傷つけていたのかも知れません。
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  1. 2020/04/26(日) 13:59:11|
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